「ステゴロ(素手)のケンカは苦手だった」工藤会トップ・野村悟被告の礼節と執念深さ【死刑判決】

2021/08/29 10:00

「だが自分たちのシノギ(資金集め)を侵そうとする敵対勢力や、要求を拒む市民・企業、摘発に励む警察には冷酷に牙をむく。その攻撃性は、全国24指定暴力団の中でトップクラス」

 長く工藤会捜査を担った福岡県警の元幹部はそう話す。

 その実例として元幹部は、判決対象の4事件とは別に、暴力団追放に積極的だった北九州市内のクラブに手榴弾が投げ込まれ、女性従業員ら12人が負傷(03年)▽福岡県警警察官舎駐車場に時限式爆発物設置(02年)▽暴力団排除の標章を貼った飲食店経営女性らへの相次ぐ襲撃(12年以降)などを挙げた。

 工藤会の起源は、戦後間もない1946年に小倉市(現北九州市)にできた「工藤組」とされる。60年代には九州進出をもくろむ国内最大勢力の山口組と抗争になった。分裂、内部抗争を経て87年「工藤連合草野一家」となり、99年に「3代目工藤会」と名称を変えた。いまの工藤会は5代目と呼ばれている。

 野村被告は2000年に4代目会長となり、11年に退いて「総裁」に就いた。5代目会長は田上被告だが、捜査当局はいまもトップは野村被告とみている。

 野村被告はどんな人物なのか。

 筆者は会って直接話をしたことはない。昨年8月の公判を傍聴して初めて間近に見た。短い白髪に黒いスーツの上下姿の被告の言動を数時間にわたって注視した。それまでに見聞きしていた印象とは違い、どこにでもいる穏やかそうな初老の男性に見えた。

 その公判で語られた証言や捜査資料、筆者や朝日新聞記者が野村被告を知る人たちに聞いた話を総合すると……。

 1946年11月、小倉市の裕福な農家に生まれた。6人きょうだいの末っ子だった。10代から非行が目立つようになった。中学時代の野村被告を知る男性は「ステゴロ(素手)のけんかは苦手で、木刀を持ち歩いていたため『木刀の野村』と呼ばれていた」と話す。

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礼儀正しく振る舞うが、狡猾さや執念深さを感じた

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