桐野夏生が語る 林芙美子と従軍ペン部隊の真実 戦時中に似てきた「不寛容な日本」 (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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桐野夏生が語る 林芙美子と従軍ペン部隊の真実 戦時中に似てきた「不寛容な日本」

西岡千史週刊朝日
桐野夏生さん(撮影:写真部・加藤夏子)

桐野夏生さん(撮影:写真部・加藤夏子)

林芙美子(C)朝日新聞社

林芙美子(C)朝日新聞社

1943年にジャワ、南ボルネオを訪問した芙美子(中央)。ジャワ・トラワス村で村長夫妻と現地の服を着て歩いた(C)朝日新聞社

1943年にジャワ、南ボルネオを訪問した芙美子(中央)。ジャワ・トラワス村で村長夫妻と現地の服を着て歩いた(C)朝日新聞社

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 週刊朝日1938年11月20日号に、『放浪記』で有名な作家の林芙美子の講演録「皇軍の勇姿に後光輝く──漢口入城女性一番乗の感激」が大々的に掲載された。従軍作家として日中戦争の現場に赴き、激戦地の漢口(中国・武漢市の一部)に「一番乗り」を果たした芙美子は一躍注目された。帰国直後の講演を収録したのがこの記事だ。

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 戦時中、軍に協力した作家は芙美子だけではない。内閣情報部は38年8月、菊池寛に戦線を視察する「ペン部隊」の結成を求めた。菊池の要請で、吉川英治、尾崎士郎、佐藤春夫など20人以上の作家が参加。芙美子もその一人だった。週刊朝日との関わりは深く、芙美子による戦地からの報告は43年にも3週連続で本誌に掲載されている。

 作家の桐野夏生氏は小説『ナニカアル』(新潮文庫)で従軍作家時代の林芙美子を描いた。多くの従軍記事を書いたことから、戦後は「戦争協力者」として批判も受けた芙美子。膨大な資料を集め、その生涯を追った桐野氏に聞いた。

*  *  *
 漢口戦に行く前の芙美子は、朝日新聞の取材に「是非ゆきたい、自費でもゆきたい」と意気込みを語っている。自ら進んで戦地に赴いたのは、なぜだったのか。

「芙美子は行商人の娘で、貧しい幼少時代を過ごしました。工場などで働く労働者よりも過酷な、流れ者のような生活をしてきた。そんな出自ですから、当時の文壇を牛耳っていた東京帝大卒の男性作家たちとウマが合うわけでもなく、ずいぶん悪口も言われていた。彼らに負けたくない気持ちがあったはずです。行商人の娘として、商売のネタは自分から行って拾ってきたいという、根源的な渇望もあったと思います」

 後に戦争を賛美したと批判された芙美子だが、『ナニカアル』の中では、戦争の真の姿をこの目で見たいという動機を持っていたことも描かれている。戦争について、どんな考えを持っていたのだろうか。

「戦争を賛美するつもりはなかったと思います。軍部に好かれていたわけでもなく、40年に満州を訪問して書いた『凍れる大地』は、『満州のイメージを損なう』と軍部から注意され、代表作の『放浪記』が事実上の発禁処分になっています。ただ、従軍ルポを書いているつもりでも実際の戦闘に遭遇するわけではなく、頑張る兵隊と一緒に行動することになるので、どうしても兵隊賛美になる。それが、日本で心配している留守家族、特に兵士の母親や妻たちの心に響いて、結果的に国威発揚に結びついてしまった」


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