盛力氏は懐かしそうに振り返り、こう続けた。

「年末のつきはもっと準備が大変。私の時代なら五代目、六代目の親分も顔を見せるし、普段、お世話になっているお客さんや近所の人もやってくる。ワシも露店の担当になると、知り合いのテキやに声をかけて『とびきりうまい、たこ焼きを焼くんやぞ』と頼んでましたわ。山口組の本部や組事務所に飾る鏡餅も、ここでついたものだった。本部から鏡餅がくると、年の瀬やなというのが山口組だった。組の中では、ハローウィーンも餅つきも大事な行事だった」

 ハロウィーン、餅つきが中止に追い込まれた背景には、六代目山口組と神戸山口組が分裂して、抗争が激化したことがあげられる。かつて、盛力氏も「大阪戦争」と呼ばれた抗争事件で、逮捕され刑務所に長期服役に余儀なくされたこともある。盛力氏の目に、今の山口組はどう映っているのか?

「私も抗争事件で報復に動いて、宮城刑務所に10年以上も服役しました。その時、山口組はあまりに抗争をやりすぎる、いずれ警察、国にヤクザ全体がつぶされてしまうのではないかと危惧していた。それが、ハロウィーン、餅つきまでも禁止でが、現実になりつつある。分裂後も山口組はヤクザには厳しくなっている時代が来たことに気づかず、抗争に明け暮れた。その結果のような気がします」(盛力氏)

(本誌取材班)
※週刊朝日オンライン限定記事