銃撃された中村哲医師 が生前、本誌に語っていた夢「現地では優しくしてもらっている」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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銃撃された中村哲医師 が生前、本誌に語っていた夢「現地では優しくしてもらっている」

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池田正史、多田敏男週刊朝日
アフガニスタンの干ばつ被害について説明する中村哲さん=2018年 (c)朝日新聞社

アフガニスタンの干ばつ被害について説明する中村哲さん=2018年 (c)朝日新聞社

アフガニスタンで活動する中村哲さん=2012年 (c)朝日新聞社

アフガニスタンで活動する中村哲さん=2012年 (c)朝日新聞社

中村哲さんらが乗っていたとみられる車 (c)朝日新聞社

中村哲さんらが乗っていたとみられる車 (c)朝日新聞社

 アフガニスタンやパキスタンで人道支援活動に長年取り組んできた中村哲医師(73)が4日、銃撃されて亡くなった。

 現地の報道などによると、中村さんは現地時間4日朝、アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードを車で移動中、何者かに襲われ銃弾を受けた。病院に運ばれいったんは回復に向かったが、容体が悪化し息を引き取った。同乗していた運転手や警備員らも死亡したという。

 中村さんは福岡県出身で九州大学医学部卒。「麦と兵隊」「花と龍」などで知られる作家火野葦平のおいでもある。NGO「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表と、ピース・ジャパン・メディカル・サービスの総院長などを務めていた。

 アフガニスタンやパキスタンで30年以上にわたって、医療や農業用水路の建設などに携わってきた。その活動は国際的に評価され、2003年には「アジアのノーベル賞」ともいわれるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞。国内でも菊池寛賞やイーハトーブ賞などを受けている。今年10月にはアフガニスタンのガニ大統領から名誉市民証を授与された。

 アフガニスタン大使館はホームページに次のようなコメントを掲載した。

「中村医師はアフガニスタンの偉大な友人であり、その生涯をアフガニスタンの国民の生活を変えるためにささげてくださいました。彼の献身と不断の努力により、灌漑システムが改善され、東アフガニスタンの伝統的農業が変わりました」

 中村さんは9月にいったん帰国し、用水路建設に取り組む現地職員らと農業関連施設を訪れたり、講演会をしたりした。その後、再び現地に入っていた。

 中村さんは1984年にパキスタンでハンセン病などの医療支援を開始。アフガニスタンに活動の場を移し、「飢えや渇きは薬では治せない。100の診療所よりも1本の用水路が必要だ」などとして、水利事業や農業支援に力を入れてきた。

 本誌記者もかつて中村さんを取材したことがある。対テロ戦争の名目で武力行使が続いていることが、アフガニスタンを混乱させていると訴えていた。

「現地は危険だと言われるが、いくら武器を持っていても安全にはなりません。現地の人たちに信頼してもらうことが大切です」


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