ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する</p>

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ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する
※写真はイメージです (c)朝日新聞社
※写真はイメージです (c)朝日新聞社

 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「五郎丸歩」を取り上げる。

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 先日、『鶴瓶の家族に乾杯』にラグビーの五郎丸歩(ごろうまるあゆむ)選手が出ていました。楽屋で化粧をしている最中だったのと、ほどなくして収録が始まったため、冒頭の数分しか観られませんでしたが、正直それでよかったと思っています。もし家でひとり、最後まで観てしまっていたら、今頃きっとこの原稿も書けないぐらい動揺していたかもしれません。

 ラグビーワールドカップ2015における日本代表大躍進の象徴として空前のフィーバーを巻き起こした五郎丸さん。あれから早4年。同時に私にとって『冷静を保つ闘いの4年』でもあったのです。当時、世間は大挙して『五郎丸ポーズ』に勤しみ、ハロウィーンや忘年会シーズンを席巻しました。しかし新宿2丁目を始めとする全国のゲイシーンにとって五郎丸の出現は、そんな一過性のブームで終わるような甘っちょろいものではありませんでした。『男好きの男たちの長年のファンタジー』が全方位凝縮された理想形、それが五郎丸歩という男。彼の登場によって、日本中のゲイバーが水浸しになったとも言われています。スター誕生、完全無欠、最大公約数、石原さとみ……。その姿を観るたびにそんな言葉が思い浮かんだものです。

 当時、私はあまり2丁目には近付かないようにしていました。今さら2丁目的な熱狂の渦中に身を置いて、彼らと一緒に夢を見るなど、女装の道を選んだ私には虚しい以外何物でもなかったからです。このように『ゲイの王道』とうっかり共鳴してしまった時、私のような『はぐれ者(ゲイ)』は、決まって得も言われぬ疎外感に晒されます。ならば私は『日本でいちばん五郎丸に冷静なゲイ』でいることを決めました。焼おにぎりのCMで「好き」とカメラ目線(しかも超アップ)でつぶやくシーンを観ても、自分の胸が射ぬかれる前に「今この瞬間、全国1千万人のゲイがキュン死しているのだ」と分析することで客観性を保ち、スマホで無意識に「五郎丸 裸」と画像検索してしまっても、「さすがに夏場だとユニフォームの日焼け跡が顕著過ぎる」などと無理矢理イチャモンを付けたりしながら、自分を律してきました。それはまるで、いつどんなタックルを受けても動じない強靱さを身に付けるための修行のような日々。その甲斐あって、ついに私は五郎丸に翻弄されることなく平成を乗り切るところまで来ていた……のに!

 いよいよワールドカップ日本開催をこの秋に控え、まさに忘れた頃の不意打ちの如く、再び私の前に現れた五郎丸。この4年間、ブームの最中に海外へ渡ったことで、明確な『旬の終わり』を感じさせなかったのも功を奏し、久しぶりに観るその姿に古さや懐かしさはいっさいありませんでした。それどころか、より一層磐石な眩しさを放っているではありませんか。程よくテレビ慣れした感じ、低く誠実そうな声、既婚者(2児の父親)故の落ち着いた佇まいと少年のように愛くるしい笑い方のコントラスト、シミ・毛穴のない綺麗な肌、トラッドな私服に白いスニーカーが醸し出す圧倒的な清潔感。すべてがまるで計算し尽くされたように完璧です。今度は私、冷静でいる自信がありません。思えば4年間もよく耐えた。でももう自分に嘘はつかない。2丁目が何だ! この原稿をもって解禁します。五郎丸タン! 抱いて! もしくは抱かせて!!

週刊朝日  2019年3月22日号

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ミッツ・マングローブ

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ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

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