杉良太郎「『杉さま』は嫌でした」  芸能界引退を考えた過去を告白 (1/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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杉良太郎「『杉さま』は嫌でした」  芸能界引退を考えた過去を告白

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石原壮一郎週刊朝日

杉良太郎(すぎ・りょうたろう)/1944年、兵庫県神戸市生まれ。65年歌手デビュー。67年NHK「文五捕物絵図」の主役に抜擢。時代劇を中心に数多くのドラマに出演し、舞台でも活躍。デビュー前から福祉活動を続け、2008年には芸能人として初の緑綬褒章。09年紫綬褒章。16年に文化功労者。現在、法務省特別矯正監、外務省日・ASEAN特別大使、警察庁特別防犯対策監など。妻は演歌歌手の伍代夏子。著書に『媚びない力』(NHK出版新書)など (撮影/写真部・大野洋介)

杉良太郎(すぎ・りょうたろう)/1944年、兵庫県神戸市生まれ。65年歌手デビュー。67年NHK「文五捕物絵図」の主役に抜擢。時代劇を中心に数多くのドラマに出演し、舞台でも活躍。デビュー前から福祉活動を続け、2008年には芸能人として初の緑綬褒章。09年紫綬褒章。16年に文化功労者。現在、法務省特別矯正監、外務省日・ASEAN特別大使、警察庁特別防犯対策監など。妻は演歌歌手の伍代夏子。著書に『媚びない力』(NHK出版新書)など (撮影/写真部・大野洋介)

杉良太郎さん (撮影/写真部・大野洋介)

杉良太郎さん (撮影/写真部・大野洋介)

 もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は、歌手で俳優の杉良太郎さんです。「遠山の金さん」などを演じた大スターですが、「杉さま」ともてはやされたイメージは虚像だと言います。地道な福祉活動は芸能界に入る前から。虚像に隠された実像に迫ります。

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*  *  *
 初めて刑務所を慰問したのは15歳のときです。近所の歌謡学院の先生に、「今度、慰問に行かないか」と誘われたのがきっかけです。その方は盲目でした。「自分だって目が見えないのは大変だろうに、この人はえらいな」と純粋に思ったのです。

 でも、何百人という罪を犯した人たちの前に立つのは怖かった。刑務所の所長でも受刑者の前に立つときは緊張するそうです。怒ってもいけないし、高圧的な態度をとってもいけないし、説教くさく聞こえてもいけない。私は一生懸命歌おう、その思いだけでした。足はガタガタ震え、先生のアコーディオンの音にのせて歌ったものの、ステージで何を歌ったかは覚えていません。でも、まだ子どもの歌声に、受刑者が涙を流していた光景は今でも覚えています。

 それから60年近く。私は福祉を通じて芸能界では学べないことを学んだと思っています。

 真実の涙、心からの笑顔、拍手……音が違うんですね。人間にこんな拍手ができるのか、と。いくらお金を積んでも、真実の拍手を聞くことはできません。それを私は何度も味わわせてもらいました。

 私は芸能界に入ったとき、コネもなく、師匠や先生もいませんでした。人間として、役者として、人生で大事なことを教えてくれたのが福祉活動だったのかもしれません。

――杉は終戦前の1944年8月、神戸市で生まれた。幼いころから歌が好きで、のど自慢大会で鳴らしていた。18歳で、「ヒットすればお金が稼げる」と歌手を目指して上京。3畳のアパートを借り、知人のカレー屋で無給で働き、3食カレーを食べて2年間過ごした。自ら選択して、苦労を買って出たのだという。


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