刀城言耶シリーズには不気味な読後感がいつまでも漂う
刀城言耶シリーズには不気味な読後感がいつまでも漂う

 ミステリー評論家の千街晶之氏が選んだ「今週の一冊」は、『碆霊(はえだま)の如き祀るもの』(原書房/三津田信三)。名探偵が四つの怪談と連続怪死を解く物語のどこに魅力を感じたのか。

*  *  *

 どんなに怪奇な事件も合理的な推理で解明され、恐怖は安心によって駆逐される──それが本格ミステリーにおける名探偵の効用だが、そうはならないのが、2006年に刊行された『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』を第1作とする三津田信三の刀城言耶(とうじょうげんや)シリーズだ。舞台設定こそ、忌まわしい伝説や因習が残る集落や孤島といった横溝正史の伝統を継いでいるものの、独自の特色として、本格ミステリーとホラーを融合させた点が挙げられる。

 横溝作品では、祟りのように思える不可解な事件に必ず合理的な解決が与えられて大団円を迎える。しかし、刀城言耶シリーズでは確かに犯罪の真相は暴かれるものの、それによって怨念や因習が完全に否定されるわけではない。すべてを人間の仕業として割り切ろうとしても、必ず怨霊や化物といった人智を超えたものの実在を示す余剰が残るため、不気味な余韻が読後いつまでも漂い続けるのだ。

 では、このシリーズの長篇としては第7作である『碆霊(はえだま)の如き祀るもの』は、どのような恐怖を描いているのだろうか。

 物語の舞台は、西端の犢幽(とくゆう)村から東端の閖揚(ゆりあげ)村まで、断崖と海によって閉ざされた五つの村から成る強羅(ごうら)地方。放浪の怪奇作家・刀城言耶は、閖揚村出身の編集者・大垣秀継から、犢幽村と閖揚村で起きた「海原の首」「物見の幻」「竹林の魔」「蛇道の怪」という、時代を異にする四つの怪談を聞く。しかも最後の「蛇道の怪」はつい最近の出来事であり、現在進行形で続いているという。

 言耶と担当編集者の祖父江偲(そふえしの)は、それらの調査のため、秀継の案内で強羅地方へ向かう。犢幽村に着いた彼らは、そこで変死体を発見する。現場はある意味で密室状態。だが、犠牲者はそこから外に自力で出ることも可能だった筈なのに、その場で死んでいたのだ。これを皮切りに次々と起きる怪死事件。それらの状況は、例の四つの怪談を想起させるものだった……。

次のページ