松尾芭蕉『おくのほそ道』の序文です。月日も年も、時は永遠の旅人だというのです。だから時が旅する人生は、旅そのものだということになります。

「おくのほそ道」の中で私の好きな句といえば、

行く春や鳥啼(な)き魚の目は泪(なみだ)

夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

五月雨の降り残してや光堂(ひかりどう)

 といったところでしょうか。いずれの句も旅情にあふれています。私たちは虚空に向かう孤独なる旅人。旅人は旅情を抱いて生きています。喜びと悲しみ、うれしさとさびしさ。錯綜するしみじみとした旅の想いです。その根底には、生きるかなしみが横たわっています。

 地方に出張に出かけると、帰路の空港や駅のレストランで旅情に浸ります。生ビールを2杯、地元の焼酎のロックを2杯飲む、40分ぐらいの時間です。

 私に身近な人たちをはじめ患者さんやその家族の方々の生きるかなしみに思いを遣(や)り、わが来し方行く末に思いを馳せるのです。人々の生きるかなしみに思いを遣ることによって、私の中にある種のやさしさが生まれ、来し方行く末に思いを馳せることによって私の中に謙虚さが生まれます。

 こうした心を深める時間こそが、ボケ防止につながるのだと思っています。

週刊朝日 2018年6月29日号

著者プロフィールを見る
帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

帯津良一の記事一覧はこちら