坂本龍一「だんだん“死に親しくなる”感覚」 闘病後の変化とは… (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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坂本龍一「だんだん“死に親しくなる”感覚」 闘病後の変化とは…

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中咽頭がんと診断されてからの闘病生活に密着(※写真はイメージ)

中咽頭がんと診断されてからの闘病生活に密着(※写真はイメージ)

 2012年からの5年にわたる密着取材によって実現した、坂本龍一さん初の劇場版長編ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:CODA」が11月4日から公開される。東日本大震災以降の坂本さんの音楽表現の変化に興味を持ったニューヨーク在住のスティーブン・ノムラ・シブル監督がメガホンを取り、音楽活動のみならず、14年に中咽頭がんと診断されてからの闘病生活に密着。YMO時代や映画音楽制作時のアーカイブ素材などもふんだんに盛り込まれ、日本を代表する音楽家の音楽と思索の旅を捉えた濃密な映像に仕上がっている。本作がいったいどのようにして生まれたのか、坂本さんに話を聞いた。

*  *  *
──宣伝コピーに「全てをさらけ出した」とありますが、音楽制作の裏側のみならず闘病生活まで克明に綴られていて圧巻でした。

坂本:最初から、「こういう映画にする」という青写真はなく、“面白いことが起こりそうだったら撮る”というような感じで撮影を始めたのですが、14年に、全く予期せずに病気になってしまったので……。闘病中の醜い姿を撮られるのは個人的にはイヤでしたけれど、映画としてみれば、こんなにドラマチックなイベントはないと思って、シブル監督に、「やったね! ものすごいドラマになっちゃったじゃないか」と言ったぐらいです(笑)。

──闘病中の自分を残すことに、何か意味があると考えたのでしょうか。

坂本:そんなことは一切ないです(苦笑)。僕は自分の生き方をさらけ出したいとか、まったく考えたことがない。ただ、モノを作る人間としての共感が強く働いた結果、個人としての感情は押し殺し、映画としてのインパクトの強さのほうを取ったんです。シブル監督はとても腰が低く、謙虚な方。闘病中の姿に密着することに躊躇(ちゅうちょ)していたので、「二度とないチャンスかもしれないんだから、どんどん撮れ!」と、こちらから煽っていました(笑)。

──監督の作為がほとんど感じられず、音楽と映像で綴った坂本さんの自伝のような印象を持ちました。

坂本:この映画に限らず、監督とか制作する側の人間が、最初からストーリーを考えて、そこに沿った映像を撮ろうとするのが、僕は一番嫌いなんです(笑)。そのことは、予め、何度もシブル監督に伝えました。「あなたがこうしたいと思う意図があっても、それは全部捨てて、撮った素材を並べて、そこからどういうものが立ち上がってくるか。そういうやり方にしてほしい」と。それは、僕が音楽を作るときも心がけていることです。出来上がりの姿を想像して、そこに向かっていくのでは、作る喜びがない。何が起こるかわからない楽しみのために僕は何かを作っているのです。ですから、いつも事前に青写真的なものは作らないようにしている。そういうやり方が好きなので、つくづく建築家にならなくて良かったと思います。建築家が、即興的にどんなものになるかわからないビルを造り始めたのでは、仕事にならないですからね(笑)。


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