だが、地震を受け、両陛下は4月下旬に取りやめを決める。代わって、被災地をお見舞い訪問する案が浮上したのだ。現地の受け入れ態勢や、余震の危険性を視野に入れての検討が続き、詳細が固まったのは訪問の1週間前だった。

 震災直後のお見舞い訪問は、日帰りが基本だ。宿泊すれば、警備など現場に負担がかかってしまう。

 今回も、日帰りを前提に検討された。だが、熊本県は遠方なうえ、一日で南阿蘇村や益城(ましき)町を巡るには時間が足りない。移動に自衛隊ヘリが導入されたが、午前10時に皇居を発ち、皇居帰着が夜9時前という、異例の強行日程になった。

 最初の訪問地である南阿蘇村は、15人が亡くなり、いまだ1人が行方不明。役場庁舎前では、周辺で車上生活を送る被災者たちが、両陛下を待ち受けていた。

 両陛下は、庁舎に向かうマイクロバスの車内で、立ったまま、手すりにつかまるようにして左右に移動していた。沿道で待つ人たちを自ら見つけ、手を振って応えようとしたのだろう。

 記者はこうした両陛下の姿を、過去何度も目にしてきた。両陛下は、被災地や地方の訪問中、出迎える人に応えようと、電車やバスの車内を移動する。被災者と同じ目線にいようとするからこそ、両陛下の姿を目にする人たちは感激するのだと、改めて感じた。

 両陛下は、被災者の姿が目に入れば、設定された場所以外でも駆け寄って声をかける。南阿蘇村の庁舎前でも、両陛下は被災者に歩み寄った。まず、天皇陛下が優しく話しかけた。

次のページ