17代当主・長宗我部友親は坂本龍馬と長宗我部家の不思議な縁について明かした(※イメージ)
17代当主・長宗我部友親は坂本龍馬と長宗我部家の不思議な縁について明かした(※イメージ)

 四国統一を果たしたともいわれる戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)で有名な長宗我部家。その17代当主・長宗我部友親は坂本龍馬と長宗我部家の不思議な縁について明かした。

*  *  *

 高知でどこが一番好きですか、と聞かれたら、「桂浜がある浦戸です」と私は即座に答えると思う。

「清明」と表現してよいくらい澄んだ空と、長く続く青い海岸線がある。

 それに浦戸城址に立つと、太平洋から吹き上げてくる風が強く、とても気持ちがよい。その風に乗ってどこにでも飛んでゆけそうな気がしてくる。

 この浦戸は、長宗我部元親、盛親の親子2代の居城だったけれど、長宗我部家改易の後に土佐に入った山内家が、徹底的に壊して廃城とした。そのため城を思い起こせるものは石垣の一部くらいしかいまは残されていない。

 だから浦戸城は、城としてはあまり知られていない。この場所に人がやってくるとしたら、五色石の採れる桂浜をみるか、坂本龍馬像と一緒に写真を撮ったりするためであろう。

 司馬遼太郎さんの小説『竜馬がゆく』が書かれて以来、龍馬人気がすごく、龍馬像と坂本龍馬記念館にやってくる人が後を絶たない。けれど、この浦戸一帯には、かつては長宗我部元親の浦戸城がしっかりと存在していた。

 こんもりとした浦戸の山の一番高いところには、小ぶりだが3層の天守閣があり、現在の龍馬記念館のあたりには、53間(約96メートル)四方の本丸があった。二の丸、三の丸もあり、城下の浦戸には御殿(御屋敷)と船着き場があって、2千石の大船が行き来していた。

 浦戸湾には元親のころには鯨が入って来て、太平洋側と浦戸湾の両方で汐を吹いていた。元親は浦戸湾に入ってきた鯨を生け捕りにして大坂城まで運び、秀吉に見せている。

次のページ