オリンピックで3連覇を果たした野村忠宏選手(40)が引退した。プロゴルファーの丸山茂樹氏は、現役時代の功績をこう褒め称える。

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 長い間ほんとにお疲れさまでした。そして多くの人を感動させてくれて、ありがとうございました。もう、この言葉しかないですよね。野村君です。

 オリンピックの柔道男子60キロ級で3連覇を果たした野村忠宏君が、8月29日の全日本実業個人選手権を最後に引退しました。初出場した1996年アトランタ大会から2000年のシドニー、04年のアテネと、すべて金メダル。15戦全勝! ちょっと、すごすぎます。スーパー・ワールドクラスですよね。

 野村君とはもう10年以上前になるかな。年末のテレビの特別番組で一緒になって、しゃべるようになりました。ほかの競技の方とは、だいたいそういうとこでしか会うチャンスがないんですね。いつも関西人独特のユニークさを忘れない人で、はっきりとモノを言う。あの「野村ワールド」がおもしろいなあって、いつも思ってました。あのしゃべりは、投げ技の切れ味鋭い、野村君の柔道そのまんまなんですよね。

 最後の大会は1、2回戦が一本勝ちで、3回戦は豪快に投げられて一本負け。野村君らしいですよね。この試合には競泳の北島康介(32)を始め、柔道以外のトップアスリート仲間が何人も駆けつけてました。

 僕は8月から3週間ほどロサンゼルスの自宅に戻ってまして、9月1日に帰国したんで行けませんでしたけど、日本にいたら見に行きたかったですよ。仲間なんで。仲間の有終の美を見たいってのは、誰でも思いますからね。

 
 金メダル3個はもちろんすごいですけど、いまの僕には、野村君がここまで長く頑張れたことの方がすごいかな、と思います。スッと引退するタイプなのかなと思ってた時期もありましたけど、シドニーのあと2年間休んで復帰してね。

 今年の6月に、僕と野村君と康ちゃん(北島)の3人で語り合うテレビ番組に出たんです。そこで野村君が言ってましたね。

 シドニーで二つ目の金メダルをとって、カッコよく引退しようと思ってたんですって。でも「3連覇を目指せるのは自分だけ」と思い直して、2年間のブランクを経て復帰したんです。そこからが地獄だった。体が動かず、負け続けた。自分に失望した、と。

 野村君はオリンピックチャンピオンですからね。自分の体が思い通りに動かなくなったときの絶望感ってのは、僕らの想像をはるかに超えて、果てしなく大きなものでしょう。

 畳に投げつけられて、負け続けて、そこで野村君は「初めて開き直った」って言いました。それまでは「開き直るってのは諦めるのと同じだと思って、開き直るのはイヤだったんです」と。自分の現状を受け入れて、一からやり直してはい上がって、アテネでの金メダルにまでつなげていったんです。ほんとに強いですよね、その心も。

 9歳の息子さんが柔道をやってて、普段は口を出さないけど、家で背負い投げだけは教えてるとも言ってましたね。僕も同じですけど、子どもに自分と同じ競技を無理にやらせはしなくても、いざ子どもが本気になり始めると、野村君も夢中になって教えちゃうんじゃないですか?

 野村君、ほんとにお疲れさまでした。康ちゃんにも声をかけて、近いうちに3人で食事したいですね。

週刊朝日  2015年9月18日号

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丸山茂樹

丸山茂樹

丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表監督を務めた。セガサミーホールディングス所属。

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