

香港の選挙制度をめぐる民主派デモの座り込み開始から1カ月が過ぎた。長期化するデモの中心となっている学生たちを旅行作家の下川裕治氏が取材した。
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彼と会ったのは10月1日。香港の金鐘(アドミラルティ)だった。民主派や学生が中心街を占拠して3日――。
彼は20歳の学生で、路上でビラをつくっていた。声をかけると幼い顔に笑みをつくり、冷たい水のペットボトルをもってきてくれた。彼は小学生の頃、交通事故で父親を亡くしていた。帰国した僕に彼はメールを送ってきた。
「夜中、占拠に反対する男が数人来た。やくざのような言葉遣い。体格もいい。見たこともない人たち」「旺角(モンコック)で友達が反対派に押されてけがをした」
しばらく続いたメールが、10月中旬、ふっつりと途絶えた。
学生の多くは、1997年、香港が中国に返還された頃に生まれた。香港の民主化問題はそのときに始まった。返還時に発効した香港の憲法にあたる「香港基本法」では、「行政長官と立法会は全面普通選挙で選ぶ」と規定されているからだ。
当時から、香港の社会制度は50年間変わらないとする一国二制度がとられた。つまり50年後には、中国と香港はひとつの制度になる。それが香港の中国化なのか、中国の香港化なのか。選挙の方法は、その試金石だった。
民主化問題の主導権を中国が握ったなかで導き出されたのは、中国流の民主化だった。2017年に行われる普通選挙の立候補者は、指名委員会が選別するという決定。これによって民主派の立候補は難しくなった。
学生たちの両親は、中国との交渉の難しさを呑み込んで生きてきた。通貨危機やSARSで停滞する香港に中国資本が流れ込む。不動産が高騰し、繁華街の50平方メートルほどの部屋が1億円もする。それでも香港人は中国人に頭を下げてきた。香港にやってくる中国の富裕層の金離れは香港人のそれを凌いでいたからだ。しかし純粋な若者たちは、そんな状況に反発する。
10月26日、僕は再び香港に向かった。金鐘で彼を捜したが、「もう来ないと思う。母親が公務員だから」と友人がいった。
今回の路上占拠を日本の安保闘争や全共闘運動と重ね合わせてみる。戦後生まれの若者と返還後生まれの若者……。しかし雰囲気は違う。占拠した路上に自習室や図書コーナーができた。演劇の練習をする学生もいる。道端の植え込みに苗木を植えている学生もいた。路上がキャンパスになりつつある。
警察が87発も放ったという催涙弾を雨傘でしのいだことから、学生たちは、この運動を「雨傘革命」と呼ぶ。しかし彼らは、雨傘が象徴にすぎないことも知っている。だからだろうか。こんな垂れ幕もみつけた。
「You may say I’m a Dreamer. But I’m not the only one」
一時期は占拠された路上に数十万人が集まった香港。10月26日現在、反対派の署名も、30万人に達している。
※週刊朝日 2014年11月14日号