皇室ジャーナリストがぎくり 天皇一家にあった嫁姑バトル (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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皇室ジャーナリストがぎくり 天皇一家にあった嫁姑バトル

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週刊朝日#皇室

昭和50(1975)年の訪米出発の朝、特別機のタラップから見送りの人たちに手を振る昭和天皇と香淳皇后 (c)朝日新聞社 

昭和50(1975)年の訪米出発の朝、特別機のタラップから見送りの人たちに手を振る昭和天皇と香淳皇后 (c)朝日新聞社 

 皇后・美智子さまは今年10月で80歳、傘寿を迎えられる。ジャーナリストの渡邉みどりさん(80)が、テレビ中継で飛び込んだ衝撃的な映像を振り返る。

*  *  *
 昭和50(1975)年9月30日。昭和天皇と香淳皇后が戦後30年の節目に、アメリカ訪問にご出発になる日でした。日本テレビのディレクター職にあった私は、ご出発の様子をニュースで中継するために、音声担当など十数人のスタッフと早朝から千代田区麹町近くにあった社屋内の副調整室に詰めていました。

 この時にモニター越しに目に飛び込んだ衝撃的な映像。危うくテロップの指示を間違えそうになったことを覚えています。

 そのシーンを振り返ってみます。羽田空港で待機する特別機のタラップの脇には皇太子ご夫妻(現・天皇、皇后両陛下)、常陸宮ご夫妻、秩父宮妃、高松宮ご夫妻、三笠宮ご夫妻、そして三木首相ご夫妻の順に並んでおられました。昭和天皇、香淳皇后がいよいよ機内にお入りになるとき、おふた方は、宮様方のごあいさつに対し丁寧に返礼をなさいます。

 特に昭和天皇は美智子さまにお辞儀をされた後、皇太子殿下に「あとをよろしく頼みますよ」というように深く頭を下げられ、皇太子さまも父君に「お元気で」といったご様子で最敬礼なさいました。

 次の瞬間、モニターを見ていた私は、ぎくりとしました。

 数歩遅れた香淳皇后は常陸宮さまにゆっくりとお辞儀をなさったあと、美智子さまの前を、すっと通り過ぎて皇太子さまに深くお辞儀をされたのです。モニターの画面に映る映像は、後ろ姿でしたが、素通りされたのははっきりわかりました。香淳皇后は手に、つい先ほど美智子さまから贈られたカトレアの花束をお持ちでした。そのまま、美智子さまにも、深々とお辞儀をなさるとばかり思っていましたのに。

 この「天皇訪米」の一部始終の映像はテレビで日本中に放送されたのです。私自身その時は、昭和天皇の訪米という歴史的なニュースを無事に中継することで、頭がいっぱいでした。昭和天皇と香淳皇后がご出発したあと、思わずスタッフと顔を見合わせて、「お気の毒に」とつぶやきました。

 東宮ご一家に長年仕えた浜尾実元東宮侍従は当時、私の取材に対しこう話してくれました。

「私もテレビを見ていて驚きました。東宮侍従をしていたころ、美智子さまのお供で吹上御所に行った時など何か皇后さまの態度がよそよそしいことは感じたことがありました。それは美智子さまの人間性というより、そのご出身(平民)が美智子さまを孤立させることになっていたんだと思います。ただ、あのお見送りの時は人前で、それもテレビカメラの前のことですからね。美智子さまはやはり大変なショックをお受けになったと思いました」

 美智子さまのご苦労については、昭和天皇の侍従長であった入江相政氏が残した昭和42(67)年11月13日付の日記にも記載があります。美智子さまは、入江氏に、胸の内を吐露しています。

<三時半から五時四十分迄二時間以上、妃殿下に拝謁(はいえつ)。(中略)終りに皇后さまは一体どうお考へか、平民出身として以外に自分に何かお気に入らないことがあるか等、おたづね。夫々(それぞれ)お答へして辞去>


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