ジャーナリストの田原総一朗氏は、福井地裁の大飯原発の運転差し止めに関する判決を、原発推進派、持続派にとって致命的となるものだったと語る。

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 5月21日、福井地裁は「関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止め」を命じる判決をくだした。

 この判決の根拠とされたのは憲法で保障された「人格権」であった。判決文では、

「生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である」

 と断ったうえで、

「被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、(中略)コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」

 と結論づけている。

「原子力発電所の稼働は法的には電気を生みだすための一手段たる経済活動の自由に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきもの」

 という表現もある。

 原告側、そして脱原発を主張する人々は「画期的な判決」だと歓迎している。例えば、2006年に金沢地裁の裁判長として、やはり「運転差し止め」(北陸電力志賀原発2号機)の判決を出した井戸謙一氏は、東京新聞上で「われわれよりもさらに住民に寄り添い、表現を大胆にしている。(中略)ここまで判決で明言するのは珍しい」と語っている。

 それに対して、原発推進側の反論が目立たない。やっと原発持続派の澤昭裕氏(経団連21世紀政策研究所研究主幹)の反論を見つけた。判決が「(事故によって根源的な権利がきわめて広範に奪われるという)事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然」と断定しているのを非科学的で乱暴だと、産経新聞で批判している。技術というものには多少ともリスクがあり、それをいかに防ぐかに全力を挙げているのであって、「リスクゼロ」しか認めないという主張からは危険な「安全神話」が生まれるしかないというのである。

 確かに、「具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然」ということになれば、大飯原発だけでなく、日本中、いや世界中の原発はすべて止めなければならないことになる。あるいは、脱原発を主張する人々は、原発を世界中からなくすのが目標なのかもしれないが、これは、いま一つリアリティーに欠ける。

 それにしても、今回の判決は、原発推進、持続側にとっては致命的ともいえる厳しい内容である。繰り返し記すが、この判決では日本中の原発の再稼働ができないことになる。

 ところが、原発推進であるはずの政府、自民党からも、電力会社からも反論らしい反論が出ていない。あわてて騒いでいる様子もない。言ってみれば落ち着いている。

 これはどういうことなのか。

 実は、06年の金沢地裁の志賀原発2号機の運転差し止めを認めた判決を上級審は覆し、最終的には住民側が敗訴しているのである。あるいは自民党や電力会社は、今回の福井地裁の判決も同様の結果に終わると、タカをくくっているということだろうか。

週刊朝日  2014年6月20日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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