知的障害などがあって犯罪を繰り返す「累犯障害者」の救済の動きが広がりつつある。だが、共通するのは「孤立」や「貧困による生きづらさ」を抱えている点で、刑務所は身寄りのない人々にとって“安住の地”という声もある。

 東京都葛飾区の社会福祉法人「原町成年寮」が運営する都内60カ所以上の施設には、知的障害者344人が暮らしている。2011年以降は累犯障害者7人を受け入れ、新たな人生の伴走をしている。

 東京都出身のノボルさん(仮名・65歳)は2年前、静岡刑務所を出所した。50代を迎えてから7年間スーパーで万引きを繰り返した末、窃盗罪で懲役1年を言い渡されて服役した。

 それ以前も、服役こそ免れてきたが、万引きの常習者で、留置場に10回以上入っている。盗むのはたいてい弁当やカップ麺、缶コーヒーなど。冬場はジャンパーやズボン、靴下にも手を出した。

 なぜなのか。

「食いたいから。人間が生きていくためには食べなければならない。でも、他人の物を盗(と)るのはよくないですよね」

 記者の質問に答える口調は常に柔らかく、「ハイハイ」「わかりました」と人当たりが良い。だが実際は重度の知的障害者で、それが発覚したのはわずか2年前のこと。刑務所での知能検査の結果は知能指数(IQ)32だった。

 小中学校は普通学級に通い、義務教育終了とともに働いた。靴屋の店員、ボイラー点検、ゴミの収集……。職場の人間関係につまずきがちで、嫌気がさすと辞めた。生活に困らなかったのは両親と3人、親戚から借りた一軒家で暮らしてきたからだ。

 53歳のとき、父が浴室で倒れて亡くなった。翌年に母も病死した。生活費だった親の年金が途絶え、ノボルさんも腕が動かなくなって日雇い労働ができず、飢えをしのぐために盗むようになった。

 2年後、それまでは家賃5万円の滞納に目をつぶってくれていた親戚に家を追い出され、仕方なく公園内の小屋へ移った。生活保護を受けようと役所に2回ほど相談に出向いたが、「まだ働けるのでは」と言われて帰ってきた。冬の厳しい寒さで両足の指が壊死し、病院に運ばれて切断した。入院費を支払うために生活保護を申請してもらったが、退院後に受け取り方がわからず、それっきりになった。

 数年間にわたるホームレス生活は、スーパーの警備員に万引きを通報されて逮捕、実刑判決となり、幕を閉じた。ノボルさんにとって刑務所とはどんな場所だったのだろうか。

「住むところと食べるもの、仕事もあって、毎日充実していました」

週刊朝日 2014年1月24日号