大阪市で導入した小中学校長の公募採用で就任したばかりの校長が、わずか3カ月で退職した。これに関して、早稲田大学国際教養学部の池田清彦教授は、退職した校長と橋下徹市長が教育について大きな勘違いをしていると指摘する。

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 橋下市長の肝いりで今春から導入された大阪市立小中学校の校長公募で、四月に市立南港緑小の校長に就任したばかりの千葉貴樹氏が三ヶ月も経たないうちに退職したという。外資系証券会社に10年以上勤務したという千葉氏は「英語教育に力を入れようとしたが、今の学校の課題は基礎学力の向上だった」と語り、更に「給料は最低級、年功序列だ」と批判している。

 橋下徹の教育改革なるものが画だったことをよく示すエピソードだ。「子どもがいるのだから、責任を持って応募してもらわないと困る。自分に合わないといってすぐ辞めるのは民間の特徴だ」と橋下市長は述べたと伝えられるが、千葉氏も橋下市長も教育に関して大きな勘違いをしていると思う。

 橋下は「子どもがいるのだから、責任を持て」といつもの言動に似あわぬいかにも陳腐な物言いをしているが、私見によれば巷に溢れるこういう言説こそが、教師の質の低下をもたらした最大の元凶なのだ。

 こういう言い方が許されるのは、教師に大きな自由裁量の余地が与えられ、待遇もそれなりにいい場合に限られる。給料は少ない。教える内容まで逐一決められていて、子どもに責任を持てと言われてもねえ。ザケンジャネエヨと私ならば思う。能力のある人は当然辞めるし、能力のない人は「所詮他人の子、フリだけしておこう」となるに決まっている。こういうことを記すと烈火のごとく怒る人がいるのは承知している。でも十中八九は本当なんだから仕方がない。人は本当のことを言われると怒るのである。

 一方の千葉氏は、目標を立てて子どもたちにそれを達成させるのが教育だ、と思っているらしい。現場を見て自分の考えが実現不能なのが即座に分かり、情熱が冷めたということなのだろう。千葉氏のこの考えもまた巷に溢れる大きな勘違いである。

 目標を立てて、なるべく効率よくそれに到達するのが教育だというのはこの世界を広く覆っている偏見だと思う。確かに大学に合格するにはこの方法は最適かもしれない。しかし、このやり方では真に創造的な人は生まれない。目標はあらかじめ与えられ、そこに謎はないからだ。

 小学生といえども、この世界に不思議なことはいっぱいある。答があるとは限らないそういった疑問を抱き続けた人だけが、世界の進歩に寄与できる。読み書きそろばん以外は先生が面白いと思うことだけを教えてもいいよ、という学校があったら、どんなにステキだろう。

週刊朝日 2013年7月26日号