ゴミ捨て場でひと休みする女性。視線の先にあるのは工業用部品のカタログ。彼女はゴミ拾いに明け暮れる日々の中、見つけた本をゆっくりと眺める時間があればいいのにと願っている。

 これは世界報道写真展2013で「現代社会の問題」の部 単写真1位の作品だ。この写真には静謐(せいひつ)さが漂い、報道写真というよりは、むしろ一枚の絵画のようでもある。

「日本で報道写真というと重たく、泥臭く思われがちですが、海外だとドキュメンタリーやルポルタージュというジャンルを軽やかに超えています。日本では現代美術のアーティストとして紹介される人が、ルポルタージュの世界でも活躍しているのです」

 そう話すのは東京都写真美術館学芸員の丹羽晴美さんだ。世界報道写真展の入賞作品にも、その潮流ははっきりと見て取れる。

 受賞者のプロフィルを見ると、報道写真に取り組む一方で、コマーシャルフォトを手掛けているのは珍しいことではない。「真面目なテーマを扱うには取材等の資金が必要なので、広告写真も撮る。その信念が、さらに人やお金を集めたりするのです」。

 悲惨な現場に足を運び、そこから美しさだけを拾い上げる功罪。悲惨な部分をのぞき見したいという人間の欲求を満たそうとすることへの是非。写真の世界では、美しいものや悲惨なものを意図的に取り切る欺瞞が、絶えず論じられてきた。

「インターネットやメディアに流れる情報は膨大です。一点の写真がすべてではなく、その後ろには広がりがあるという認識が、見る側にも浸透してきました。本当にそこにあった現実であり、真実を伝えるためのものであれば、美しさや悲惨さといったインパクトの必然性に、議論の余地はないのではないでしょうか」

 2012年も世界を震撼させ、歴史を塗り替える出来事が起き、それらを多くの写真家や報道カメラマンがとらえてきた。紛争地での痛々しい出来事も、自然の美しさも、平穏に満ちた人々の姿もまた現代写真の真実である。

「報道写真」という枠組みを離れ、アーティスティックな視線を向けた時、一枚の写真はさらなる奥深さや広がりを見せるだろう。

週刊朝日 2013年6月21日号