オリンピックの金メダル獲得に国民栄誉賞受賞......。柔道家の山下泰裕さんは絵に描いたような栄光の半生を歩んできた。しかし、子供の頃は問題児。両親が見かねて道場に通わせたのが、柔道を始めたきっかけだという。中学では全国大会3連覇。高校のインターハイでは史上初の1年生チャンピオンに。驚異の新星に、多くの大学が熱い視線を送るなか、最も熱心だったのが東海大学だったという。山下さんにそのころの話を聞いた。

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 私と祖父とで、東海大学総長の松前重義先生と面会しました。私より先にじいさんが先生の人柄にほれちゃった。この先生に孫を預けたい、と。それで高校2年生のインターハイ後、神奈川の東海大相模高校に転校したんですが、「邪道だ」「東海大は山下にいったいいくら払ったんだ」などと大騒ぎになりました。実は東海大学側は、高3のインターハイ後に東海大相模に呼び寄せて練習させたい、と考えていた。ところが、じいさんが「孫が欲しいなら、すぐにでも連れていってくれ」と言うので、高2で急遽転校となったんです。

 私は本当に指導者に恵まれました。藤園学園中学の白石礼介先生も、東海大相模の佐藤宣践先生も、チャンピオンを作ることにおいて、超一流でした。

 またこの2人には共通点がありました。それは、教えてくれたのが勝ち負けだけの柔道ではなかったことです。柔道で学んだフェアプレーの精神、それは試合以外でも発揮しなければならない。2人が作ろうとしていたのは柔道のチャンピオンじゃなくて、柔道の道を生きることのできる人生の勝利者だったんです。もし、畳の上の勝利だけを追求する柔道を教わっていたら、私は小さいころの暴れん坊のままだったでしょう。

※週刊朝日 2012年7月20日号