3月29日に新型コロナウイルス肺炎で亡くなった志村けんの著書の中でも『変なおじさん【完全版】』は彼の笑いの秘密を知る上で出色の一冊だ。

 志村は1950年生まれ。父は小学校の教頭で、家庭は厳格だった。中学生の頃からお笑いをめざしたのは<家の中にあまり笑いがなかったから>。父への反発だった。高校時代にいかりや長介宅を訪ね、高校を出る直前から付き人になった。24歳でドリフターズに加入。

 ここからお笑い一筋の人生が始まるが、彼の一種ストイックなお笑い哲学は、他の仕事にも応用できそうな話が多い。

 初期の頃はただ無我夢中で力が入りすぎていた。<本当はその逆で、楽しく遊んでるように見せるのがお客さんを笑わせるコツだ。/「こいつら本当に楽しそうにやってるな」って思うから、お客さんは笑う>

 東村山音頭はずいぶん長くやってマンネリといわれたが<僕は笑いにはマンネリは絶対に必要だと思う。/お客さんにすれば、「多分こうするよ、ほらやった」と自分も一緒になって喜ぶ笑い>だ。<「待ってました」とか「おなじみ」という笑いをバカにしちゃいけない>

 ドリフの強さはチームワークの笑いができること。ライバル意識はなかった。<グループの笑いというのは、全員の仲がよくないとうまくいかない>

 いちいち「そうかそうか」という気がしません?

<僕はおふざけは嫌だし、20代とか学生だけに通用する言葉を使うのも嫌いだ>っていうのもけっこう大事。そして……。<僕もじいさん、ばあさんといった役をやるけど、彼らは世の中で弱い立場にいる人たちだ。それがいろんなことをやって笑いが生まれて、最後にはじいさん、ばあさんが勝つ。そうやって弱い者が勝たないと、僕はおもしろいと思えない>

 老若男女を喜ばせる笑いは、こんな哲学から生まれていたのだ。差別と笑いを混同したらいけないってことです。

週刊朝日  2020年9月18日号