「携行食」
「携行食」

Q:食べ物や飲料水はどうやって調達した?
A:行軍4日目から食糧が支給されたが、飲み水の確保には苦労が多かった

■「ともかく陣中は飢饉と同じに思え」

 江戸期に成立した足軽のマニュアル本『雑兵(ぞうひょう)物語』には、武具の操作・取り扱いに交って、陣中での心構えが述べられている。特に多く触れられているのが食料の確保法だ。

 荷宰領(にさいりょう/荷物運般差配人)の「八木五蔵」の項には、彼の助言として、「敵地に入れば、何でも目につくかぎりのものを拾え。草木の実は言うに及ばず、枯葉だって馬の餌だ。松の皮はよく晒して粥にして食べても良い。大雨や川を渡る時、首に結びつけた籾(兵糧袋の中身)が水を含んで芽を出す。田に植えても良いぐらいまで育ったら、葉や根とともに食べろ。炊飯に用いる薪(たきぎ)は一人一日分八十匁(約三百グラム)必要だが、大人数で一カ所に集まれば、少ない量で済む。薪が無い時は、馬の糞の干したものを用いろ。敵地の住民は米や衣類を土に埋める。霜の降った朝に見れば、そこだけ霜が消えているものだ」とある。

 また水の入手法については、「敵地の井戸には、必ず底に人糞が投げ込まれている。川水が安全だ」「それでも国が変われば水あたりする。水に杏の実の種から取った杏仁を混ぜろ。また故郷の田でとれた淡水産の巻貝の、干した物を鍋に入れて上澄(うわずみ)を飲め」と教えている。

 以上の話は足軽個人の自給心得だが一方、上からの支給に関しては、同書「夫丸・馬蔵」の項に、「水はとにかく大切なもので、一日一人あたり一升(約1・8リットル)。米は六合、味噌が十人に二合、塩は十人に一合」とある。

 これには地域や雇用する大名の懐具合で多少のバラつきが見受けられるが、江戸初期の別の資料にも、「人数十人につき一日米は一斗が基本」とされ、通常は朝一人あたり五合炊いて、朝食に二合五勺(しゃく)食べ、昼にも二合五勺食べる。また昼に炊いた二合五勺を夕食にまわし、夜戦に備える時は、夜にも二合五勺炊く(これは江戸期の3食制だから、2食制の戦国時代では当然二合五勺を差し引く)。
 
 なお、一回の二合五勺は全て消費せず、心得の良い家中では必ず握り飯にして少量を保存し、不意の用意とした。また、個人携帯の米は多くが籾米(もみごめ)か半づき米で、指揮官は三~四日分しか渡さない。五日分より多く支給すれば、心得の悪い足軽の中には、麹ダネを持ち込み、酒を作ってしまう者が出るという。


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