――外交の面でそう感じたということですか。
松川:はい。もうね、日々、日本の国際的地位が劣化して、如実に下がっていくのが分かるんです。例えば、あのときは日米同盟がもう破壊的でした。アメリカ人のカウンターパートと話をするんですが、そのときにまず最初に言わなければいけないのが「日本は日米同盟を大事だと思っていますから」ということ。そう言わないと話が始まらないみたいな、バカげた時代でした。外交官として最前線にいてもつらい時代でしたね。
それが第2次安倍政権になって本当に変わりました。日本の国際的プレゼンスがすごく上がって、日本経済も良くなって日米同盟も強固に復活しました。平和安保法制もでき集団的自衛権の問題も解決した。政治は、外交や安全保障にとっても大事なんだなって、そのときすごく痛感したんですね。
――Twitterにも安倍元総理に憧れて政治家になりましたと書いていましたね。
松川:安倍元総理のような方は、今までの憲政史上にいなかったと思います。特に、「自由で開かれたインド太平洋」は安倍外交の白眉ですが、国際的なアジェンダを日本が提唱してそれが米国はじめ世界に採用されたのは初めてだと思います。国際的なリーダーとして認識された初めての総理だったと思うし、戦略的思考をする外交官でもあったと思います。ご自身は育ちの良い「おぼっちゃま」なのに、プーチン大統領、(トルコの)エルドアン大統領、(フィリピンの)ドゥテルテ大統領、トランプ元大統領など、世界のこわもての政治家にモテるという。
ですから、私は外交や安全保障の面で(安倍元首相を)尊敬していました。実際、当時から国内の評価よりも国際的な評価のほうが圧倒的に高かったですね。だから今回も世界中の首脳や要人から追悼が寄せられているわけで。こういう外交ができるのはすごいなって思いましたね。
――じゃあ総理大臣も目指していらっしゃる?
松川:いやいや(笑)そういう意味ではないんですけど。総理というのは天が選ぶものなんですよ。なりたくてなれるものでもない。時代と天が選ぶものです。
――逆に駄目だったところとか、もう少しこうしてほしかったという点はどこですか。
松川:安倍元総理に限らず、自民党って身内に甘いと思われていると思うんですね。スキャンダルがあったときに、すぐにその議員を処することができないとか。政治主導は良いのですが、官僚統制が強すぎると官邸の顔色をうかがって本来言うべきことを言わない風潮がでてきてしまう。霞が関が萎縮したところもあったと思います。人材劣化や人材流出を防ぐ上でも内閣人事局の在り方は、再考すべきだと思います。(取材・構成/たかまつなな)