「迷惑乗り入れ」と抗議された過去も!東京メトロ千代田線の波乱の半世紀 (3/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「迷惑乗り入れ」と抗議された過去も!東京メトロ千代田線の波乱の半世紀

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岸田法眼dot.#鉄道
開業間もない新御茶ノ水駅に停車する営団地下鉄5000系。新御茶ノ水駅はメガネ型シールド工法で建設された (C)朝日新聞社

開業間もない新御茶ノ水駅に停車する営団地下鉄5000系。新御茶ノ水駅はメガネ型シールド工法で建設された (C)朝日新聞社

当時最先端の回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御方式を採用し、外観も革新的だった6000系の試作車。量産車とは帯やスカートなども異なる (C)朝日新聞社

当時最先端の回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御方式を採用し、外観も革新的だった6000系の試作車。量産車とは帯やスカートなども異なる (C)朝日新聞社

営団地下鉄千代田線の北千住~綾瀬間と、国鉄常磐線の綾瀬~我孫子間の複々線が完成し、1971年4月19日に綾瀬駅で行われた開通式。手前が営団6000系、奥が国鉄103系1000番代 (C)朝日新聞社

営団地下鉄千代田線の北千住~綾瀬間と、国鉄常磐線の綾瀬~我孫子間の複々線が完成し、1971年4月19日に綾瀬駅で行われた開通式。手前が営団6000系、奥が国鉄103系1000番代 (C)朝日新聞社

代々木公園~代々木上原開通を前に、試運転で顔を合わせた営団6000系(右)と、小田急が相互直通運転用に開発した9000形(左) (C)朝日新聞社

代々木公園~代々木上原開通を前に、試運転で顔を合わせた営団6000系(右)と、小田急が相互直通運転用に開発した9000形(左) (C)朝日新聞社

 残る代々木公園~代々木上原間が開業し、小田急小田原線代々木上原~本厚木間との相互直通運転が始まったのは、1978年3月31日。常磐線と異なり、平日の朝夕のみ14往復というもの。現在では考えられないほどの少なさであった。

 千代田線は全通したが、綾瀬検車区への回送線の旅客化を望む声に応え、1979年12月20日、分岐線として綾瀬~北綾瀬間が開業。北綾瀬駅のホームは1番線のみで、列車は同区間のみ運転の3両編成である。その後、ホームドアの設置に伴うATO(自動列車運転装置)運転化、北綾瀬駅の改良工事により、2019年3月16日ダイヤ改正から10両編成の列車が発着できるようになり、ついに全線走破する列車が誕生した。

■地下鉄初の特急運転。名車6000系が引退

 2005年5月17日、東京メトロと小田急は特急ロマンスカーの千代田線直通に合意した。小田急側が車両を用意し、2008年3月15日にデビュー。平日は通勤通学輸送、土休日は観光輸送を中心に運転されている。千代田線内は追い抜き設備がないので、平行運転せざるを得ないが、途中駅で停車時間をとることで、先行列車に接近しないようにしている。

 2017年から千代田線綾瀬~代々木上原間でホームドアの整備を進めている。これに伴い2018年3月24日から同区間がATO化されたが、一部の車両は引き続き手動運転を行っている。

 また、2018年11月18日をもって、長年活躍してきた6000系が引退した。1968年に試作車が登場し、1971年3月20日から営業運転に充当。左右非対称の前面、アルミ合金製の車体、回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御方式といった当時の最先端技術を導入した車両で、鉄道史に残る名車であった。

 千代田線が開業して半世紀。営団地下鉄の新基準を作ったエポックメイキングな路線と言え、技術力で開業に結びつけた最初の路線と言っても過言ではない。(文/岸田法眼)

○岸田法眼(きしだ・ほうがん)/『Yahoo! セカンドライフ』(ヤフー刊)の選抜サポーターに抜擢され、2007年にライターデビュー。以降、フリーのレイルウェイ・ライターとして、『鉄道まるわかり』シリーズ(天夢人刊)、『論座』(朝日新聞社刊)、『bizSPA! フレッシュ』(扶桑社刊)などに執筆。著書に『波瀾万丈の車両』(アルファベータブックス刊)がある。また、好角家でもある。引き続き旅や鉄道などを中心に著作を続ける。


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