もう少し古い選手を見てみよう。

 1991~1992年、田村宏樹さんは土佐塾高校2年、3年のときに代表に選ばれ、2年で銅メダル、3年で銀メダルをとっている。中学受験では灘中に合格したが、地元にとどまった。田村さんは1993年、前期試験で東京大理科III類、後期試験で京都大理学部に合格する。当時の合格体験記でこう記している。

「京大の理学部が第1志望。ここの数学の研究は定評がありましたし、昔からの憧れでした。ただ、日本の理系の最高峰といわれている東大理IIIは受けておこうと考えていました。申し訳ないんですが、記念受験というやつです」(『東大理III 天才たちのメッセージ 1993』データハウス、1993年)

 1997~2000年、長尾健太郎さんは開成中学3年、同高校1~3年のときに出場し、中3で銀メダル、高校のときはすべて金メダルを獲得した。長尾さんは東京大理学部数学科、京都大大学院博士課程理学研究科数学・数理解析専攻に進んだ。イギリスのオックスフォード大での研究員生活を経て、2010年、名古屋大大学院多元数理科学研究科助教に就任する。2013年9月、研究成果が認められ、日本数学会で権威ある「建部賢弘賞」を受賞する。

 1996~1997年、中島さち子さんはフェリス女学院高校2年で金メダル、3年で銀メダルを獲得している。彼女は東京大理学部数学科を卒業後、現在、ジャズピアニストとして活躍する一方、子どもたちに数学のおもしろさを教えている。女性の出場選手は少なく、ほかに山下真由子さん(2013年、新宿山吹高校)だけである。

 国際数学オリンピックに初めて日本選手が出場したのは、和暦でいえば平成2年のことである。あれから30年。令和の時代となり、研究者の道を選んだ数学の天才少年少女は、そろそろ教授になる年齢を迎えようとしている。ぜひ、数学の分野で優れた業績を残してほしい。医師、情報系の専門家になった者もいるが、それぞれの分野で数学の高度な知識を生かして活躍してほしい。

 最後に、前述した、金メダルの長尾健太郎さんについて、数学オリンピックの歴史に刻んでおきたい。

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