日経平均株価がバブル崩壊後の最高値を更新し、日本経済は好調を維持している。だが、景気拡大は実感をともなっておらず、特に中小企業の先行きは厳しい。経営に問題はなくても、後継者不足などから経常黒字の状態で事業の継続をあきらめる「黒字廃業」も相次いでいて、その数は廃業する会社の約5割にのぼる。
一方、ベトナムなどの東南アジアの新興国は今、日本の中小企業の知識や技術、機械設備などを「宝物」と見て、次々に買収している。日本経済の“基盤”となって戦後の経済成長を支えてきた中小企業が、いま足元から崩れようとしている。苦悩する現場を追った。
* * *
「もう、この地域でものづくりの現場は壊れてしまった」
栃木県内で機械加工業を営んでいた60代の望月宏一さん(仮名)は、静かな口調で業界の窮状を訴えた。
望月さんは、父が戦争から帰ってきた直後に創業した町工場の一家に生まれ、地元の工業高校と大学の工学部で学んだ。卒業後は東京で就職したが、約30年前に工場を手伝うために故郷に戻ってきた。
工場は機械部品の加工を得意とし、採算の悪い少量多品種の注文であっても、引き受けた仕事は確実にこなしてきた。その歴史は「戦後日本の高度経済成長とともに歩んできた」(望月さん)という。
望月さんが地元に戻ってきた1990年代は、携帯電話が日本で普及し始めた時期。新設される電波塔の部品の注文が次々に入り、事業も好調だった。最盛期には約20人の従業員がいた。
望月さんは「ウチはそんなに技術力のある企業だったわけじゃないよ」と謙遜する。だが、「今だから話せるけどね」と言いながら教えてくれたのは、国家機密に関わる仕事の話だ。かつて工場では、1990年の湾岸戦争で有名になった米国製パトリオット・ミサイルの部品を製造していたのだという。
「図面を渡された時は、何の部品なのかわからなくて不思議だった。商品名は『パトーリ』とか書いててね。それが後になって、発注元の担当者が『ミサイルの部品です』ってこっそり教えてくれた。重要な部品は米国でつくってるんだろうけど、こんな町工場まで依頼が来るとは驚いたね」(同)