「オヤジは店の営業が終わると、残っている社員やアルバイトとビールを飲み始め、ほぼ毎晩、飲んでいました。多い時は10人くらいが集まって、朝まで飲むこともあって、そんなときには翌朝出勤してきた従業員に追い出されることもあったようです。そんな時は近くのファミリーレストランで朝食を食べるところまで、オヤジは付き合っていたそうです」

 オヤジの面倒見の良さを感じさせる話だ。さらに、やんちゃさがうかがえるこんなエピソードもある。

「雪の日には、四輪駆動車に中華鍋をつないでソリにしてレースをしたりもしていたようです」

 そんなノリがいいところも、若者に魅力的に映ったのだろう。オヤジに憧れて、やんちゃな若者や苦学生が従業員として集まってくるようになった。こうして店にはオヤジを筆頭にやんちゃな面々が揃うわけだから、店内も自然、そんな雰囲気になる。

「当時の店は、人として筋が通っていないような、気に入らない客は叩き出してOKという雰囲気でした。『いただきます』『ごちそうさま』を言う、残さず食べるなど、客は客としての筋を通すべきという考えでした。お客さまは神様などという概念はなく『うちは旨いすた丼を出す、客はそれを味わいそれに代金を支払う』、ただそれだけの場所でした」

 そんな荒っぽい雰囲気もあった店内では、時には「(閉店する)深夜3時過ぎに店裏の公園に顔出せ」といったやりとりをすることもあったという。実は当時、「暴走族も店の前ではバイクのエンジンを切って押して歩く」という都市伝説のようなエピソードも残されているのだが、この店の様子を聞くとうなずける。

 オヤジは50歳の若さで亡くなったが、その後、早川氏が「オヤジのすた丼の味を日本中のより多くの人に知ってほしい」と考え、店舗を全国展開。フランチャイズ化もすすめ、現在は74店舗にまで数を増やしている。

 実は100円キャンペーンを行ったこの日、厨房では代表取締役である早川氏自身が鍋をふるっていた。店先にはすた丼屋の前身である「サッポロラーメン」ののれんがかけられ、店内にはその当時にも流れていたであろう、1980年代の歌謡曲が流された。限りなく「元祖」に近い雰囲気が再現されていた。ちなみに、100円キャンペーンに関しては「完全に赤字です(笑)」と同社広報。それでも気前よく振る舞ってしまうところも、当時のオヤジの心意気を受け継いでいるようだ。

 こうしたルーツを知ったうえで食べてみると、すた丼にもまた違った味わいが出てくるかもしれない。(文・横田 泉)