だが日本の家庭では、親は子どもの都合に合わせて生活する。例えば、長男は宿題をなかなかやらない。ネルケさんは「やるのは本人だし、放っておけばいい」と言うが、日本人の妻は「親の責任として放っておけない」と宿題をやらせようとする。また親は学校のPTAや地域の子ども会に参加し、子どもが所属するスポーツクラブでは送迎や球拾いといった練習のサポートをする。

 ドイツでは、親はそこまで子どもにかかわらない。子どもたちは午前7時過ぎから学校の授業を受け、お昼すぎには帰宅する。それから親が帰ってくる夕方まで、サッカーをやったり、図書館で調べ物をしたりする。宿題をする・しないも自由だ。子どもたちはそこで主体性をはぐくむ。

 日本では、子どもたちは家庭も学校も集団生活で、親や先生など常に誰かがそばにいる。ネルケさんは「良い面もあるけれど、親や先生の下で過ごす時間が長いため、子どもが自分で考えて行動し、伸びるためのベースが育ちにくい」と考えている。

 ネルケさんが、子どもたちが通う学校の授業参観や発表会に行った時のことだ。子どもたちは保護者らの前で作文を発表したり、練習してきた歌や演劇を披露したりする。筆者にとっては当たり前の光景だが、ネルケさんには不思議に映った。「子どもたちの発表している内容は先生が企画したもので、練習の成果を披露しているだけ。子どもの生の声ではない」。

 ドイツでは授業参観はないそうだ。「同じことをドイツでやったら、子どもたちはお互い主張しあって、会がぐちゃぐちゃになってしまうだろう。しかし、子どもたちは主張をぶつけ合うことで理性を持って討論することを学んでいく」とネルケさんは言う。

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