東山紀之が語る差別問題 「大人として子どもに伝えたいこと」とは? (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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東山紀之が語る差別問題 「大人として子どもに伝えたいこと」とは?

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『カワサキ・キッド』(朝日文庫)東山紀之著定価:713円(税込み)Amazonで購入する

『カワサキ・キッド』(朝日文庫)
東山紀之著
定価:713円(税込み)
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「僕には父親がいなかった」
「母は再婚した。新しく父親になった人を僕はどうしても好きになれなかった」

 これらの言葉は2007年、少年隊・東山紀之さんが出演したオリジナルミュージカル「PLAY ZONE」のセリフの一部だ。同作は東山さんの生い立ちをもとに書き上げた実話で、BGMには子どもの頃に見た光景を表現するものとして『ヨイトマケの唄』が選ばれた。人間の弱さや屈折をありのままに出せる強さを持ちたいという、東山さんの表現者としての願いから選曲されたという。

“クール”な印象が強い東山さんだが、泥臭い人間味あふれる生い立ちと生き様を、自著『カワサキ・キッド』では赤裸々に語っている。自身の“原点”だという川崎での少年時代。東山さんが3歳のときに両親が離婚して、それまで住んでいた川崎駅近くの家から、同じく川崎の桜本のアパートに引っ越し、小学2年生ごろまで妹を含め家族3人で貧しい生活を送ったという。

 1970年代の桜本は、重工業と基底を担う土地とあって、労働者の街だった。『ヨイトマケの唄』のように、「エンヤコーラ」の掛け声で土木作業に従事する労働者の中には男性だけでなく女性の姿も多く見られたという。街には労働者を中心に、コリアンタウンが形成され、その中には、東山さんが、店の肉をよく食べさせてもらった焼き肉店を営む在日朝鮮人「シュウちゃん」一家もいた。

「貧しくてお腹をすかせていた僕たちは、あのころ、あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う。(中略)思えば、母も、韓国・朝鮮人を差別する意識をまったくもっていなかった。自身も戦争でつらい経験をしていたし、在日の人々の虐げられた状況は他人事とは思えなかったのだろう」(本書より)

 東山さんは子ども時代の桜本での“社会”について、「自分たちも貧しかったけれど、さらに貧しい人たちを支えなければいけないという気持ちを大人も子どもも持っていた」(本書より)と振り返る。それは人種や家庭環境に関係なく弱き者に手を差し伸べるものだった。


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