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作家・高橋源一郎が見つめてきた、3.11以降の日本社会と民主主義

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『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)高橋源一郎著定価:842円(税込み)Amazonで購入する

『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)
高橋源一郎著
定価:842円(税込み)
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「民主主義」とはいったいなんだろうか。

『広辞苑』(第六版) によると、語源はギリシャ語の「demokratia」。これは「demos(人民)」と「kratia(権力)」とを結合した言葉で、転じて、「権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態」のことを指す。また、「民主政治」について広辞苑では「民主主義に基づく政治。主権が人民にあり、人民の意思に基づいて運用される政治」と定義している。

 翻って、現代の日本で、この民主主義、民主政治はうまく働いているだろうか。もちろん、民主政治は守られている。にも関わらず、ここ数年、特に3.11以降の4年余り、自身の意思が政治に反映されていないと感じている人も多いのではないだろうか。

 作家の高橋源一郎氏が、朝日新聞の「論壇時評」にて政治や社会をテーマに連載を始めたのは2011年4月のこと。原発再稼動からTPP、憲法改正、辺野古基地移設と、民意を大きく二分するような政治的、社会的問題に直面してきたこの濃密な4年間を、高橋氏は文学者の視点から見つめ続け、綴り続けた。そうして積み重ねられた48本の原稿が、この度『ぼくらの民主主義なんだぜ』として1冊の書籍にまとめられた。

 本書のあとがきで高橋氏はこう書き記している。

「連載のスタートは2011年4月と決まっていた。そのひと月前に『東日本大震災』が起こった。この国は、(おそらく)かつて一度も体験したことのない未知の混乱に入り込んでいったように見えた。だから、ぼくは、一回一回の『時評』を、ほんとうに手探りにするように書いていくしかなかった。大きな声、大きな音が、この社会に響いていた。だからこそ可能な限り耳を澄まし、小さな声や音を聞き取ろうと務めた。もう若くはなくなったのかもしれないけれど、できるだけ、自分の感受性を開き、微細な電波をキャッチしようと思った」

 この4年間、社会のおおきなうねりの中で溺れそうになっている声の小さな少数派、自分の思いが選挙結果に反映されなかった「現実」に疲れ果てている人に対して、高橋氏は寄り添い続けてきたのだ。

 そして本書の中で高橋氏はこう高らかに宣言する。

「ぼくたちはひとりで生きていくことはできない。でも、他人と生きることはとても難しい。だから、『民主主義』はいつも困難で、いつも危険と隣り合わせなものだ。誰でも使える、誰にでもわかる、『民主主義』なんてものは存在しない。ぼくたちは、ぼくたちの『民主主義』を自分で作らなきゃいけない」

 アメリカという国、そして同国の民主主義のあり方について悩む少年たちを描いたナット・ヘントフの小説『ぼくらの国なんだぜ』。本書のタイトルはそこからとったものだ。この国の民主主義のあり方に悩むすべての人へ――文学者・高橋源一郎の言葉は、そんな人の心に、深く刻まれるに違いない。


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