じっくり読んでみると、当初「坊さんのようなことを言う人だな」と思いつつ眺めた「利他」という言葉がスッと心に入ってきたのである。ちょうど嵌まるような心の空白が私にあったということなのだろうか。何かが欠けたままの凹の部分に、利他という凸が飛び込んできた。そんな感じだった。

 今私は、稲盛哲学の伝道者の一人としても活動をさせてもらっているが、一つの教えや言葉が誰にでも受け入れられるものではないことは分かっている。例えば法事でお坊さんがありがたい話をしてくれても、1000人いれば999人は受け流すだろう。

 ただ、自分では気づいていなくとも、教えや言葉を希求している人はいる。ハングリーな状態になっているときなどは特に、教えや言葉と出合うとスパーンと入ってくるものだ。

 稲盛塾長の著作に出合ったときの私は、まさにそれだった。中古ピアノでひと儲けし、いとことのショッピングセンター開発も順調に終了し、起ち上げて間もないブックオフも狙い通りに発展させられそうだった。

 事業家としての誇りを取り戻せる時期であったが、一方で、成功が妬まれて「坂本は鼻持ちならない奴だ」といった陰口を叩かれ、何か教えや言葉を求めていたのだと思う。

 先にも紹介した盛和塾は、元々は京都の若手経営者たちが稲盛塾長から経営者としての心の持ち方を学ぼうと1983年に起ち上げた自主勉強会だ。その学びが前提となって1989年5月に刊行された稲盛塾長の処女作が『心を高める、経営を伸ばす』である。

 私は著作を読むだけでは飽き足らず、稲盛塾長の話を直接に聞いてみるべく、盛和塾の門を叩いた。

●“文春砲”で創業会社を追われる

 盛和塾の塾生たちは、全国各地で開かれる塾長例会の“追っかけ”をするのが常だ。私もご多分に漏れず、追っかけ組となった。そして北海道での塾長例会のときである。稲盛塾長が私に声をかけてくれ、「あなたのやっているフランチャイズ事業は、まさに利他だよ」と褒めてくれた。そして念を押すように「人のために尽くすということは、フランチャイズビジネスやあなたのためにある言葉だよ」とさえ言ってくれた。

 これはもう嬉しいとかではなく、ショックとも言える事態で、「私でも稲盛哲学を実践できるのだ」という強い確信を持たせてもらえた。

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気がつかぬうちに再び驕りの縁に立っていた…