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膵がんで8月8日に死去した沖縄県の翁長雄志知事。
最期まで米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に強く反対し、7月末には「最後のカード」であった辺野古の埋め立て承認の撤回に踏み切ったばかりだった。
「週刊報道LIFE」(BS-TBS)でメインキャスターを務めるTBS記者、松原耕二氏は著書『反骨 翁長家三代と沖縄のいま』(朝日新聞出版)の中で、翁長氏から直接聞いた数々の印象深い言葉を書き残しているが、翁長氏は病気の発見を境に、いい意味で「変節」したと見る。
当時那覇市長で自民党に所属していた翁長氏に、健康診断の際に初期の胃ガンが見つかり、2006年4月7日の記者会見で自らそれを公表する。初期といいつつ、胃の全摘という命にもかかわるものであった。
「(胃ガンが)発見されたときは二年の命だな、と自分で決めていましたね」
同書の中で翁長はそう振り返っている。
一カ月に及んだ入院生活の間で、翁長は自分の人生を考えたと話す。夢だった那覇市長の仕事は全力でやってきた、でもこの時まで生きてきた自分は、本当に全力を尽くしてきたと言えるだろうか、と。
術後の経過も良好で、転移も見られなかったことから、翁長は公務復帰を果たす。頬がこけ、一回り細くなった身体で臨んだその会見でも、こう語った。
「突然、ガンを宣告され、入院、手術と非日常的な日々を送るなかで、初めて人生を振り返ることができました」
当時から翁長は普天間基地の硫黄島移設を訴えたりしていたが、あくまでも沖縄自民党の保守本流議員としてであった。ところが、ガン以前と以後では、翁長の顔つきが変わった、と松原氏は感じた。そこに松原氏は翁長氏の内面の変化を感じ取る。
翁長氏の知人が、同書の中でこのように語っている。
「(翁長氏は)胃を全摘してますからね、ひょっとしたら命を失うかもしれないという思いをしてね。一度亡くなった命というふうに考えて、本当は沖縄は被害者なんだと。そういうものを乗り越えられるような活動をしたいというふうになったような気がしますね。ぼくは個人的にはあれは大きなきっかけになったんじゃないかと。そんなこと本人は言いませんけどね。変わったような気がしますよ。基地に関しては沖縄はひとつになるべきだと」