振り返ってみると、私にとって社会に対して何かを訴えることは、自分自身が変わることでもあった。「自分」というと、何だか小さい存在のように思えるけれど、それでも確かにこの社会を構成している。自分がまず変わるということは、社会を変える一歩なのだと思う。私の場合、その一歩を踏み出すきっかけは、どうしようもないくらい些細なことだった。だからこそ思うのだが、別に「これが絶対に正しい!」という強い自信がなくても良いのだと思う。政治の問題は、結局私たち自身の生活の問題なのだから、それくらいラフに意志を示せるほうがいい。

 最近は、森友学園に関する公文書改ざんが大きな問題として取り上げられ、連日抗議が行われている。4月14日午後2時からは大規模な国会前抗議が計画されているし、全国各地でも抗議が行われる予定だ。今回の問題について、「おかしい」と思ったら、ぜひ足を運んでほしいと思う。「おかしい」と心の中で思っているだけでは、現状は何も変わらない。行動に変える、意志を示すことが、少なからず今の政治を変えることにつながるはずだ。

 選挙こそ民主主義だと思い込んでいる人もいるかもしれない。しかし、内閣は行政について、国会に対して責任を負っている。国会というのは私たちの代表者が集まる場であり、内閣は結局のところ、私たちに対してきちんと説明をする責任を負っている。それなのに真相を解明しようとせず、官僚の責任で終わらせようとする内閣に対して、「おかしい」と声を上げるのもまた民主主義だ。選挙がないからと言って、黙っている必要などない。

 公文書管理を徹底するための制度改革をやればいいのではないかと思う人もいるかもしれない。その意見には賛成だが、今回の森友学園をめぐる公文書改ざんの真相を明らかにしないままで、再発防止策なんて考えようがないのではないだろうか。このままこの問題を終わらせては、公文書改ざんくらいなら問題ないという認識が広がって、制度の話にまで至らないのではないのだろうか。それに、いくら公文書管理を徹底しても、政治的な圧力が直接的/間接的に行政にかかるような状況をそのままにしては、結局同じことが起こるのではないだろうか。

 次の選挙のことも、これからの公文書管理のあり方も大切だけど、今この問題をどうするのか、今私たちがどんな意志を示すのか、それこそ重要だと思う。抗議に参加するというのは、少し勇気はいるけれど、ただその場に行けばいいという意味ではハードルの低い政治参加の方法だ。コールに合わせて声を上げる必要もない。ただ友達と集まって、おしゃべりしているだけでもいい。その場に足を運ぶという一歩が大きな意味を持っている。今、その一歩をどれだけの人が踏み出せるかが問われているように思う(文・諏訪原健)

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諏訪原健

諏訪原健

諏訪原健(すわはら・たけし)/1992年、鹿児島県鹿屋市出身。筑波大学教育学類を経て、現在は筑波大学大学院人間総合科学研究科に在籍。専攻は教育社会学。2014年、SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に参加したことをきっかけに政治的な活動に関わるようになる。2015年にはSEALDsのメンバーとして活動した

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