そのような対話に向けた動きが進もうとする中で、「対話のための対話には意味がない」として、一貫して強硬な姿勢を貫いている日本政府は、国際社会の動向から取り残されているのではないかと思う。「朝日新聞 映像報道部」のTwitterアカウントが、2月9日に投稿した写真には、それが象徴されているようだった。平昌オリンピックの開会式で、手を取り合う金与正氏と文在寅大統領。そしてそれには目もくれず、ひとり遠くを見つめる安倍首相。日本政府は、南北関係の融和に向けた動きを、真摯に受け止めるべきではないだろうか。

 さらに言えば、政府に加担しているかのような一部報道もある。NHKニュースの公式Twitterは、「北朝鮮の狙いが、米韓同盟の分断にあるのは間違いありません」と南北融和の動きに否定的な見解を示した。2月11日の毎日新聞の社説は、「北朝鮮が文氏に会談提案 平和攻勢に惑わされるな」と題して、「南北の首脳会談を必要としているのは北朝鮮である。そこを見誤ると、核を温存したまま国際包囲網を突破しようとする北朝鮮に手を貸すことになってしまう」としており、「対話のための対話には意味がない」という政府の姿勢とつながるような見解を示している。

 私には、このままでは日本社会が、南北の対立を深めることに手を貸してしまうのではないかと思えてならない。そうならないために、大切な事は、私たち自身が、この東アジアに何を求めるのかをきちんと考え、表明することのように思う。私たちには、政府に態度を改めるように迫るだけの力があるはずだ。

 政府の高官になったような気持ちで、北朝鮮には圧力をかけなければならないなどと、平和に向けた取り組みを一蹴するのは簡単なことだ。しかし軍事的な対立にまで至れば、苦しむのは私たちと同じ一介の民衆ではないのか。あるいは戦火が広がれば、私たち自身も無関係ではいられないのではないか。そんなことに加担してはいけない。

 朴槿恵大統領(当時)の弾劾訴追案が可決された2016年12月9日、私はソウルにいた。その時、現地の人々は歓喜しているというよりも、むしろこれからの韓国社会がどうなるのかということに憂慮していた。ある人は、今後の懸念として、「韓国では、政治家が北朝鮮に対して融和的な態度をとれば、北朝鮮のスパイなどと非難される。韓国では進歩主義的な政治家であっても、強行的な姿勢をとることを求められる。今後どんな人がトップになるのかが重要だ。」と語っていた。

 その言葉を聞いていたからこそ、文大統領が、南北融和に向けた取り組みを進めていることは、本当に尊いことだと、私は受け止めている。彼の行動を、あるいは彼を大統領に押し上げた韓国社会の人々の意志を、無下にするようなことはしてはいけないと思う。対話から生まれる平和の可能性にも、私たちは目を向けるべきでないだろうか。(諏訪原健)

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