「2009~2012年ごろ、ブータンの若者の間では日本の映画『クローズZERO』がブームになり、感化された若者が徒党を組んで乱闘をするのがちょっとした社会問題になりました。一部の学校では、『クローズZERO』の視聴を禁止するお触れが出されたといいます」
このようにさまざまな社会問題に直面するブータン。平山氏が語るには、その原因はこの国が今まさにターニングポイントにあるためだという。長らく隣国以外の外部社会との繋がりが希薄であったブータンが国際社会との交流を本格的に始めたのは1970年代。それを契機に始まった近代化のスピードは、ほかの国々が経験したものとは比較にならない。
「例えば、ブータンで携帯電話サービスが始まったのは2003年です。2015年の携帯普及率は約87%ですが、これは圧倒的な変化といえます。現在ブータンが抱える社会問題は、こうした急速な社会変化によるゆがみなのです。非常にわかりやすいのが教育分野。少し前まで高校に進学する人は全体の半分にも満たなかったのに、現在の高校就学率は80%近くに及んでいます。さらに、大学進学率も急速に伸びている。しかし、ブータンにはいわゆるホワイトカラーの仕事が少なく、高学歴の若者は肉体労働を嫌がるため、仕事をしていない者がとても多い。つまり教育制度の整備と労働市場の実情が噛み合っていないわけです。こうした現象がさまざまな分野で見られます」(平山氏)
だが、こうした状況においても平山氏はブータンに希望を見いだす。
「もともとブータンが近代化を志向した背景には、北に位置する中国、南に位置するインドのプレッシャーがありました。20世紀半ばから後半にかけて中国がチベットを侵攻、インドはブータンの西にあったシッキム王国を併合しており、ブータンの為政者は『ブータンとしてのアイデンティティーを打ち出していかなければ、国がなくなってしまう』という強い危機感を抱いたはずです。その打開策の終着点のひとつがGNHだった。国家ブランドの確立という観点では非常によく考えられており、実際にある程度の成果を収めています。そういう意味ではブータンは“実験国家”なのです。かつて中国とインドという脅威から生き延びたように、現在抱える社会問題に対しても何らかの打開策を打ち出せるのではないか。この国にはそう思わせる力があります」
ブータンの街を歩けば必ず目にする「ゴ」や「キラ」といった伝統衣装も、数十年前まではきちんと着る者はそれほど多くなかったという。しかし、国家のブランディングを模索する過程で、国王の号令によって公共の場所での着用が義務付けられるようになった。こうしたしなやかな国家運営やそれに順応できる国民性は世界でもなかなか類を見ない。この国なら本当にいつか世界一幸福な国になれるのでは……そんな期待を抱かずにはいられないのだ。(ライター・小神野真弘)