NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」第95話(1月22日放送分)で、ディーン・フジオカ演じる実業家・五代友厚が亡くなった。明治の元勲・大久保利通の暗殺を嘆き、みだれ髪でウイスキーをあおる姿は、女心をわしづかみにした。今、「五代様ロス」に陥っているファンも多いのでは? というわけで、その面影を求めて「ゆかりの地」を歩いてみた。
五代様、その生涯は知れば知るほど、ドラマチックだ。
「あさが来た」では大阪での活躍を中心に描かれているが、若いころから型破りな俊才だった。1836年、薩摩藩の武士の家に次男として生まれ、10代前半の時に製作した世界地図が藩主・島津斉彬に差し出されたとか。長崎海軍伝習所で航海学を学び、薩英戦争の際には一時、英海軍の捕虜となる。65年には藩命により薩摩藩遣英使節団の一員となって欧州を巡るなど、海外事情に通暁するようになった。
明治維新後は、新政府の要職に就き、大阪造幣寮(現・造幣局)の設立に関わる。その後、民間の実業家となり、紡績業、鉱業などを手がける。大阪株式取引所(現・大阪取引所)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大)などを設立。東京商法会議所(現・東京商工会議所)を設立した渋沢栄一と並び、「東の渋沢、西の五代」といわれる存在だ。1885年に49歳で病没した。墓は大阪の阿倍野墓地にある。
まず足を運んだのは、大阪取引所。大阪市内の北浜1丁目交差点に面して銅像が立っている。大きさといい、威厳といい、圧倒的な存在感だ。彫りの深い面差しは、しいて言えば俳優・加藤雅也のような雰囲気かも?
「テレビとちょっと、違うなあ」
「本物も男前やんか」
背後から五代様の写真を撮る女性の声が……。次々と観光客も訪れ、シャッターを切っていた。
同取引所内にあるOSEギャラリーでは、ゆかりの品を見ることができる。取引所の設立趣意書には墨文字で「五代友厚」の名が。設立時の株主名簿にも名を連ねている。圧倒的な存在感、その業績を知ることで理解が一層深まる。
続いて、大阪商工会議所に向かった。ここにも銅像があり、第7代会頭の土居通夫、第10代会頭の稲畑勝太郎と並んで出迎えてくれる。顔立ちは20年後の小栗旬……といったところか。
「スタイルの良さでいえば、大阪取引所の五代様に負けるけど、シュッとした顔の雰囲気がよく出ているわ~」(写真撮影中の女性)
銅像の前にある解説を読むと、「右足を半歩前に、右掌を上にちょっと前へ出して、示現流の使い手がいつでも抜刀できるポーズである」とのこと。平日の正午ごろ、20分ほど銅像のそばにいる間、写真撮影に訪れるファンは後を絶たなかった。