2015年1月7日にパリの週刊新聞『シャルリー・エブド』が襲撃され、記者ら12人が殺害された事件から1週間が経とうとしている。襲撃の実行犯であるサイド・クアシ容疑者、シェリフ・クアシ容疑者の兄弟は、9日にパリ郊外の工場に立てこもったが、突入した特殊部隊により射殺。1月8日にパリ南部で女性警察官を殺害し、9日にスーパーに立てこもり4人を殺害したアムディ・クリバリ容疑者も射殺された。2つの事件の容疑者らは連携しており、その背後関係を探ると、今回の事件の根は深いことがわかる。
彼らの背後組織については「アルカイダ系」が有力といわれていたが、1月12日になってクリバリ容疑者とみられる男性が「イスラム国」メンバーと主張する動画が投稿され謎は深まった。というのも、イスラム過激派として両者は名が知られているが、実は2013年以降、この2つは絶縁状態にあるのだ。経緯は左図の通りだが、「アルカイダ系」といってもひとつの確固とした組織が存在するわけではなく、アルカイダという思想運動に共鳴する個別のグループが点在している状態。一方、イスラム国は指導者バグダディがイスラム国家の最高指導者であるカリフを名乗り「領土」をもった組織である。両組織の思想は異なり、非難し合っている。
なお、12日、トルコ外相は今回の事件の共犯者とされるクリバリ容疑者の内妻ブーメディエンヌ容疑者が、8日にはトルコ経由でイスラム国の本拠地があるシリアに入ったことを発表した。
ヨーロッパには長年の移民「受け入れ」政策によって、アラブとその周辺出身のムスリム(イスラム教徒)が大量に暮らしている。たとえば、パレスチナ人は、1948年の第一次中東戦争の際にアラブ諸国やヨーロッパ、アメリカへ大量に移民。それから1967年の第三次中東戦争、1973年の第四次中東戦争でも移民が大量に出ている(アラブとその周辺からは、ヨーロッパへ移民する人たちが恒常的に存在する)。特にフランスやイギリスは旧植民地からの移民が多く、今回の事件の容疑者である兄弟もフランスの植民地だった北アフリカのアルジェリア系であり、クリバリ容疑者は西アフリカのマリ系である。移民の第一世代が家族をもち、第二世代、第三世代までが育ってきているという状況なのだ。
元シリア大使で、中東地域には10年以上勤務し、フランス語圏の赴任も長い国枝昌樹氏はヨーロッパのムスリム移民問題を次のように分析する。
「移民ムスリムの初代は経済的な動機でヨーロッパにやってきた人間がほとんど。彼らは懸命に働き、多くはきつい仕事にも就き、移民先の社会の中で耐えて生活するということを、初めから受け入れている人々でした。しかし、移民第二世代のムスリムになると、もはや彼らはイギリス人やフランス人、ベルギー人なのです。移民の第一世代、つまり親の世代までは、移民としてヨーロッパに来たのだからひたすら耐え忍ばなければならないという『意気込み』があって、『偏見』による『屈折』に耐えることができた。しかし移民の第二世代、子どもの世代になると、それに耐えるだけの『意気込み』がない。そうかといって、明示的ではないにしても、自分は偏見を感じている。この『屈折』は親とも友だちとも共有できず、やがて大きな『疎外感』へとつながりそこに過激派が入り込むのです。『移民ムスリム』の若者たちの場合、根深い人種的な『偏見』や移民世代間の意識の違い、社会的地位の低さなどが『疎外感』の要因になっていると思われます。事件の容疑者である兄弟の両親ははやくに死亡し、難しい環境の中で成長したといわれています。フランス社会に対して差別を受ける弱者として『ノー』を突きつける際の立ち位置、あるいは軸としてイスラム教があり、預言者ムハンマドがあったと思います」
また、国枝氏はフランス独自の問題も根底にあると分析する。