●法事が持つ意味
今年はコロナ渦のせいで法要がずいぶん中止されたようだが、初七日、一周忌、三周忌などという節目の法要は、十王信仰によるものである。宗派によっては違いがあるが、死者は49日までは7日ごとに、あとは100日、1年、3年後に10回の審判を受け、天国か地獄か行き先が決まるのである。これは中国で道教の影響を受けた仏教が日本へ渡ってきたことによるものだ。そして、三途の川や奪衣婆(筆者別稿を参照のこと)など、日本独特の世界観を作り上げて現在に到っている。
法事は、死者の審判の行方を見守る、あるいは審判をくだす王たちに対する供物を奉じた儀式と言えるだろう。中心人物である閻魔大王は35日目に登場する審判王である。ちなみに超極悪人は、この裁判すらも受けられずそのまま地獄行きなので法要は無駄である。どれくらいの極悪人だとそうなるのか、誰も見たことがないので定かではない。なお、地獄もひとつではなく軽いものからとてつもなく重いものまで100以上の地獄が待っている。
●閻魔大王と地蔵菩薩
日本では、中国の道教色より仏教色のほうが強くなったため、十王信仰とはいえ、各審判王には仏がそれぞれ当てられている。初七日の審判王は不動明王(秦広王)で、14日目は釈迦如来(初江王)というように十王すべてに本地仏として対応しているが、このような考え方は日本だけのようだ。
閻魔大王の本地仏は地蔵菩薩。道端などいたるところにお地蔵さまがいることと、閻魔大王がなんでも知っていることと無関係とは思えない。地蔵菩薩は地獄から亡者を救ってくれる仏としても知られている。「地獄で仏」と言われるのは地蔵菩薩のことである。
こうして日本では、既知の神仏を新しく入ってきた風習とうまく合体させることで日本独特の文化として昇華させてきた歴史がある。玉虫色の決着を好む傾向は、何者も排除してこなかった歴史にあるのだろう。閻魔とともに、罪名を読み上げる司命(しみょう)と、判決文を記録する司録(しろく)という書記官が一緒に祭られることも多く、官僚制度を大事にする日本らしい一面も垣間見ることができる。
閻魔を単独仏として祭るのは日本独特の風習らしい。毎月16日は閻魔大王の縁日である。真面目さと正直さで知られる日本人の根元はこんなところにもあるのかもしれない。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)