現在の元号は「令和」。日本の元号は脈々と続いていると言われているが、実は始まったのは大化の改新以降である。以降もしばらくは元号なしの時代もあったりもした。
大化の改新とは、645年6月14日に起こった乙巳(いっし)の変からの数年あるいは数十年にわたる政治改革のことを指す。ちなみに乙巳とは、ご承知のように60年に一度めぐってくる干支のひとつであり、乙巳の年に政変が起こることはかなり珍しい巡り合わせである。
◯皇室といえど暗殺や無実の罪をかぶる時代
歴史では、神武天皇から現代まで天皇の治世が続いているが、時代によってはなんの権力ももたない天皇がいたことは事実である。時代が下ってくると織田信長や徳川家康でさえ一目を置き、権力を手に入れるために天皇に刃を向けることはなくなってきたが、古墳時代と呼ばれいまだ混沌としていた時代以降しばらくは、権力の風向きはくるくると変わっていた。その中で天皇や皇子が堂々と暗殺されたり、陰謀の中で無実の罪を着せられることも少なくなかった。
◯天皇さえも操る蘇我氏を討つ
乙巳の変の半世紀ほど前、物部氏と蘇我氏による権力闘争の中で、崇峻天皇はじめ次期天皇の座につくべきいく人もの命が次々と奪われた。その結果、物部氏は没落する一方、蘇我氏は絶大な力を得て、天皇の即位や遷都までも意のままに行うほどの大勢力となる。蘇我氏は天皇・太子に娘を嫁がせ、誰が天皇になろうとも姻戚となる盤石な地位を築いた。
この蘇我氏を、のちの天智天皇となる中大兄皇子、天武天皇となる大海人皇子などを巻き込んで、中臣鎌足(のちの藤原氏の始祖)が討ち果たした政変が乙巳の変と呼ばれている。
◯「大化の改新」が歴史に持つ意味
大化の改新と呼ばれる時代に、多くの基礎が作られたと言われる。国土を整備し、戸籍を作成、税や役務の制度を改革、それまでの一族だけで富を分配しあっていた氏姓制度を解体し、中央集権的な支配へと移行していった。「天皇」という呼び方や「日本」という表記も大化の改新時代に誕生したとされている。
日本の歴史において、かなりのターニングポイントであるのだが、「大化の改新」は無かったという研究も戦後から昭和の中期頃まであり、最終的には平成11~14年に遺跡から発掘された木簡などの出土で論争に決着を見ることになるのだから、歴史というのはなかなかやっかいな学問である。