19歳の時に主演した「東京の女性」(39年)では、自動車のセールスレディー役のために運転免許を取得。撮影所まで自分で運転することもしばしばあったそうで、積極的に役に身を投じる姿があった。

 戦時中、各会社が撮影できる映画本数が割当制により制限され、軍事色の強い内容でないと検閲が通らなかったこともあり、20代前半に原が出演した作品の多くは戦争に関連した国策映画だった。

 戦後になると、原は、娯楽が解禁されて映画が急成長していくなかで、数々の名作に出演する。黒澤明監督の「わが青春に悔なし」(46年)、吉村公三郎監督の「安城家の舞踏会」(47年)、木下惠介監督の「お嬢さん乾杯!」(49年)で注目を集め、さらに小津安二郎監督の「晩春」(49年)にヒロインとして起用されてから、「麦秋」(51年)、「東京物語」(53年)といった代表作に恵まれる。小津作品で原の演じた慎ましく上品な女性像が、後世にも色濃く印象を残すこととなった。

 ただ、本来の原はたばこやビールが好きで、時には賭け事にも興じるなど、気風の良い気性だったという証言も残る。男女関係では生涯、独身を貫き、「永遠の処女」とも言われた。一時、小津との結婚の噂が持ち上がったこともあったが、本人や小津の周辺は否定していた。

 銀幕のスターとして揺るぎない地位を築き、成功を収めたと思われた原。だが、42歳にして忽然と表舞台から消えてしまう。

「よく引退したといわれますが、山口百恵のように引退を宣言したわけではありませんでした。自分を起用してくれる小津の死(63年)も影響しているでしょうが、自然消滅的に表舞台から遠のいていったのだと思います。もし良い脚本にめぐりあえていたら違っていたかもしれませんが……」(貴田さん)

 60年代になると、テレビの普及に伴い、映画の黄金時代に陰りが見えていた。同時に原の役回りも地味になっていく。

 最後の作品となった「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(62年)では大石内蔵助の妻・りく役を演じたが、出番はわずかだった。映画女優としての引き際を悟ったのだろうか。

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