各社が「端末0円」を打ち出していたかつての携帯売り場。大手3社が横並びでiPhoneを取り扱い、激しく顧客を奪い合った/2014年 (c)朝日新聞社
各社が「端末0円」を打ち出していたかつての携帯売り場。大手3社が横並びでiPhoneを取り扱い、激しく顧客を奪い合った/2014年 (c)朝日新聞社
AERA 2020年10月12日号より
AERA 2020年10月12日号より

 NTTがドコモを完全子会社化する。菅首相の「料金の値下げ要求」が引き金だ。長年の肝いり政策だが、ここまで失敗続き。暗黒の未来さえ招きかねない。AERA 2020年10月12日号では、これまでの携帯電話市場をめぐる菅氏の政策を振り返った。

【図を見る】NTT民営化後の通信業界では新規参入と再編が繰り返されてきた

【NTTがドコモを完全子会社化する本当の理由 政府と「二人三脚化」で米中の巨人に対抗へ】より続く

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 そもそもドコモは1992年、電気通信市場での公正な競争環境を掲げる政府措置に即し、NTTから分離された。すでにNTTとともに日本移動通信(IDO)や関西セルラーなどが携帯電話サービスを提供していたが、固定電話で圧倒的なシェアを持つNTTが、携帯電話市場で過剰に影響力を発揮しないためだった。

 NTT内部では、今後は光通信が本命であり、移動体通信は将来性のない事業とされていた。そのため、NTT本体から移動通信網に出向になった人たちは「島流し」的な扱いだった。

 しかし、ドコモ現社長の吉澤和弘氏は自ら手を挙げて移動通信網に参加。同社で働く社員の多くには、NTTに対する反骨精神でここまでドコモを成長させてきたという強い自負がある。30年近くが経ち、まさかNTTに逆戻りするとは、思いも寄らなかっただろうし、内心、忸怩たる思いがあるはずだ。

 NTTの予想に反し、携帯電話市場はその後急成長を遂げる。94年にはツーカーグループ、デジタルホングループなどが参入。関東圏ならドコモ、IDO、ツーカー、デジタルホンの4社から自由に選べた。そんな中、ケータイ人気に火をつけたのがドコモのiモードだ。「絵文字」によってメール文化が広がっただけでなく、携帯電話で手軽にインターネットに接続できるとあってドコモは爆発的にシェアを伸ばした。

 特有の販売方法も普及を後押しした。端末代は「1円」や「0円」が当たり前。本来は高価な端末を安値で大量にばらまき、通信料金で回収するというビジネスモデルが構築された。

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