ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、先日亡くなられた筒美京平さんを取り上げる。
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人には様々な「原風景」が存在します。中でも幼い頃にテレビ越しに見た記憶は、歳を重ねても深く刻まれ続けるものです。私のテレビ原風景は、『ひらけ!ポンキッキ』で躾を説くペギー葉山さん、紅白で紅組司会をする佐良直美さん、ドリフの番組でコントに興じる由紀さおりさんなど、そのほとんどが「人」である一方で、歌番組で曲名とともに表記される「作曲 筒美京平」という文字面もまた、自然と刷り込まれたお馴染みの風景でした。「作曲 筒美京平」の6文字には、たとえ漢字が読めない子供でも、それが大衆的でポピュラーなものであることを瞬時に理解できてしまうくらいの説得力と魅力がありました。
ある日、少年隊の歌詞カードを見ながら、ふと「自分は今までどのくらい筒美京平の音楽を摂取してきたのだろうか」と思ったのが小学6年生の時。改めて家中のレコードやカセットのクレジットを見返してみたところ、あの曲もこの曲も筒美京平だらけではありませんか。しかも聴いていて無条件にワクワクしたり切なくなったりする曲はほとんど筒美作品。私の音楽的感性や琴線の大部分は、「作曲 筒美京平」という6文字の向こうにいる「誰か」によって形成されている。何だかとても不思議な気持ちになったのを憶えています。
やがて時代は昭和から平成になり、日本のヒットチャートの様相も、織田哲郎さんや小室哲哉さんといった新たなヒットメーカーが席巻し、アイドルや流行歌に対する概念も大きく変化しました。そんな折、90年代中盤から後半にかけて沸き起こった空前の「筒美京平再評価ブーム」。NOKKOさんの『人魚』や小沢健二さんの『強い気持ち・強い愛』など、J−POP的(非歌謡曲的)スタンスのアーティスト達による筒美作品が数多くヒットし、それを機に60年代以降の歌謡曲・和モノが「お洒落サウンド」として捉えられるようになったのです。それはまさに70年代・80年代を生きてきた日本人が、あの「原風景」を思い出し、共鳴したからにほかなりません。