ユニバーサルミュージック社内で、原宿の竹下通りを眺めながらの撮影 (撮影/品田裕美)
ユニバーサルミュージック社内で、原宿の竹下通りを眺めながらの撮影 (撮影/品田裕美)
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大貫妙子 (撮影/品田裕美)
大貫妙子 (撮影/品田裕美)

 1970年代から日本の音楽シーンの第一線で活躍する大貫妙子さん。67歳となった今もより好きな、より楽しい音楽を求めている。

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【前編/いつ聴いても古くならない大貫妙子サウンド 本人が明かす“こだわり”とは?】より続く

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 大貫さんのもとにやってくるオファーは実に多彩だ。サントリーホールでは弦楽カルテットと共演もしたし、千住明さんの指揮でオーケストラをバックに歌ったこともある。その千住さんとのシンフォニックコンサートが、今月20日、4年ぶりに人見記念講堂で開催されることになった。

「人は多分、プレッシャーがないと、身体は本気にならないんです。そこから逃げて帰れないから(笑)。今は配信もありますけど、お客さんのいないステージで歌うことのむなしさは、皆さん感じていると思います。野球の選手が、大観衆の前でホームランを打って、そのプレッシャーを跳ね返す。それを身体は忘れないし、その積み重ねが、その人の自信になる。ぬるま湯の中にいたら、人は成長しません、厳しいですね(笑)」

 コンサートは、コロナの前から開催が決まっていた。

「ですから、身体や気持ちはもうずっと、そういうつもりで準備しています。そうしておかないと、朝の散歩に出るような気分で、あれだけの大人数の前では歌えないです。でも長く続けていると身体は、なんていうか……40歳を過ぎてからですね、そういうことが普通に身につくようになったと自覚したのは。今は、コンサートが中止か延期にならないことを祈っています。それより私自身が絶対コロナにかかるわけにはいかないので。そのプレッシャーのほうが大きくて、自粛の毎日です。早く解放されたいですね」

 現在67歳だが、「年齢を重ねることに関しては、メリットしかないです」と断言する。

「それは若い頃より、多少、坂を上ると疲れるとか、朝までレコーディングは無理とか(笑)。肉体的な衰えはありますよ。でも、精神面や仕事のことで言うと、蓄積というのはやっぱり素晴らしいと感じます。自分のやってきたことを俯瞰で見られることが嬉しい」

 若い頃の自分を振り返れば、そこにはまだ何の景色も描かれていない。目の前にも後ろにも、広がっているのは荒野のようなものだった。

「それが、今、自分のやってきたことを俯瞰して見てみると、そこに川も山も大地も森もある。今まで自分が描いてきたものが何だったのか、今は、本当によくわかる。そしてまた新たな人との出会いによって、新しい地図ができはじめている。それを見ていると、次にこれをやろうというエネルギーが湧き上がってきます」

(菊地陽子 構成/長沢明)

大貫妙子(おおぬき・たえこ)/1973年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。ポップス史に名を刻むアルバム「SONGS」をリリース。76年に解散後、ソロ活動を開始。2015年にバンドネオン奏者・小松亮太とのアルバム「Tint」で日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。著書に、アフリカ、南極などへの取材体験をスケッチした『ライオンは寝ている』、葉山でのとの暮らしなどを綴った『私の暮らしかた』など。

週刊朝日  2020年12月25日号より抜粋