寄席には『予備』といわれる出演者がいる。出演予定の芸人が何らかの事情で来なかった場合、プログラムに穴が開いてしまう。その穴を埋めるために「一応」「念の為」「とりあえず」楽屋に来る芸人。それが『予備』。今は穴が開くことがほとんどないので『予備』はいないが、昭和の頃まではいたらしい。たいがいお爺さん。それもあまり、というか全く売れていないお爺さん。でもお爺さんだからみんな丁重に扱う。『予備』は出番はなくても楽屋に行けば給金が貰える。だからふらーっとやってきて、楽屋でお茶を飲んで、あーやっぱり今日も出番はなかったか、よかったよかった、そして給金を貰い、ふらーっと帰っていく。何らかの用で『予備』自身が行けない、もしくは行きたくない場合、「オレ、今日行かねぇけど行ったことにしといてくれ」と電話をかけてきて、後日給金を当然のように受け取る。そんなお爺さんが常時2、3人いたという。なんてゴキゲンな生き方なんだ。でもそのお爺さんたち、たまに高座に上がるとすごい仕事をする……時もあるんだって。でもいつ見られるかは分からないまぼろしお爺さん。
今『スペア』になれと言われたらちょっと躊躇(ちゅうちょ)するけど、歳をとってある程度先が見えてきたらそんなスペアライフもいいかもしれない。何もかも振り切っちまえば、最高だろうな。こんな生き方の人もいたんですよ。だからドンマイ、ヘンリー。
春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめたエッセー集の第1弾『いちのすけのまくら』(朝日文庫、850円)が絶賛発売中。ぜひ!
※週刊朝日 2023年2月10日号