黒川博行・作家 (c)朝日新聞社
黒川博行・作家 (c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る
※写真はイメージです (GettyImages)
※写真はイメージです (GettyImages)

 ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、人生最大のラッキーについて。

*  *  *

 電話の音で眼が覚めた。わざわざ布団から出るのはめんどうだから、とらない。「ピヨコちゃん、起きてる?」とスピーカーから声が聞こえた。よめはんだ。そういえば、今日が個展の初日だと気づいた。よめはんはもう、デパートの美術画廊にいるらしい。

 わたしの手にとまって寝ていたオカメインコのマキといっしょに寝室を出た。仕事部屋の流しで頭に水をかけて髪の寝癖をとる。珍しく顔を洗い、コロンもふったので、マキに気づかれた。こいつは出かけるつもりやぞ──と。

 そうなると、マキはかたときも離れない。わたしがズボンを穿(は)き、セーターを着るあいだ、肩にとまったまま、わたしの機嫌をとるようになにやら喋(しゃべ)っている。かわいそうだが、しかたない。「マキ、お留守番やで」いって、部屋を出た。マキは寂しそうに、クーン、クーンと鳴く。後ろ髪をひかれる思いで車に乗った。わたしはもともと出無精だが、それが高じたのはマキがいつも家にいるからかもしれない。

 デパートの美術画廊のフロアにあがったのは十一時半だった。家具や時計宝飾品売場(うりば)は閑散としていて、スーツ姿の販売員ばかりが眼にとまる。やはり新型コロナの影響は大きい。

 画廊に入ると、十人ほどのお客がいた。会場はかなり広く、壁面も長い。そこに四十点を超えるよめはんの日本画が並んでいる。

 わたしは画廊の責任者に挨拶(あいさつ)をし、ひとわたり会場をまわった。絵は額装され、ライトがあてられて岩絵具がキラキラしているから、画室で見ていたときとは印象がちがう。よめはんはこつこつと三年かけて、これらの絵を描いたのだ。

「いや、眼福でした」よめはんにいった。

「じゃ、買うて。たくさん」「考えときます」

次のページ