批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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よしながふみの『大奥』が完結した。
本作は2004年に始まった長期連載マンガである。謎の疫病で男性の数が激減し、将軍以下主な役職を女性が占めるようになった架空の江戸時代を舞台としている。19巻累計600万部(紙と電子)で、実写化のほか多数の賞を受賞している。
上記紹介から想像されるとおり、本作はジェンダー格差に厳しい視線を投げかける問題作でもある。『大奥』の世界では女性が男性の性を買う。女性の権力者の恣意で若い男性の人生が奪われる。読者はその悲劇に涙するが、同時に、性が逆なだけでその不条理が現実であることを意識せざるをえない。
とはいえ本作の魅力は、その問題提起が単純な男女逆転にとどまっていないところにある。『大奥』は年代記の形式をとっており、疫病が発生した家光の時代から予防接種の普及で男性人口が回復する幕末まで、ほぼ2世紀の物語を描いている。
そこで驚くのは、以上の大胆な設定にもかかわらず、作者があまり史実を動かしていないことだ。『大奥』の世界では田沼意次も平賀源内も女性であり、女性だけで産業も技術も発展する。しかしいいことばかりではない。凄惨な事件も男女が逆転して起こる。女性将軍は孤独で苦しむが、史実では男性の苦しみだった。主役がすべて女性でも歴史は同じように展開するが、同時に同じ悲劇も起こりえた──この物語に込められたメッセージはじつに複雑である。
森喜朗前五輪・パラ組織委会長の失言以来、ジェンダーをめぐる議論が高まっている。日本の男女差別が問題であることは言うまでもない。根本的改革が必要であり、男性批判が高まるのはやむをえない。
しかし同時に必要なのは、単に男女を入れ替えれば差別が消え去るわけではないという、あたりまえの感覚を忘れないことである。私たちは身体の性が違うだけで、相手の痛みへの想像力を失ってしまう。同じことはジェンダー以外の差異でもいえる。『大奥』は、その失われた想像力を再喚起するために描かれたように思う。
3月8日は国際女性デーである。ぜひ一読を勧めたい。
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2021年3月15日号