私が初めて被災地を訪れたのは、12年7月のこと。震災当時、「途上国」と呼ばれる海外にいて、不安定なネット回線から届く情報を見守るしかなかった。1年3カ月後に帰国し、すぐに足を運んだのが石巻市だった。最初は1カ月、その次は3週間。それ以降、2カ月に一度足を運ぶくらいの決して「濃い」とは言えない関わりだったが、同じ街に通ってきた。

 そのなかで、その人それぞれにとっての「節目」に立ち会ったり、話を聞いたりする機会があった。仮設住宅を出て、自宅を再建した。災害公営住宅の抽選に当たった。これまで暮らした街を離れる。行方不明になっている家族の死亡届を出すと決めた──。それはその人にとって確かに「節目」だし、ひとつの「区切り」だったと思う。

 3月11日はどうか。

 前出の黒澤さんは今年の追悼行事のあと、こう話してくれた。

「私たちにとって3月11日は忘れられない、とても大切な祈りの日ですが、連続した時間のなかにある現在進行形の一地点です。10年を振り返って早かったなとか、大変だったなと思うことはあるけれど、何かが変わるわけではない。ずっと続いてきて、これからも続くつながりのなかにあるんです」

■海岸対策事業8割が完了 助成金の規模も縮小

 確かに、震災から10年を経て被災地の環境は大きく変わる。12年に新設された復興庁の、当初定められた設置期限は今年3月(20年6月、法改正により10年延長が決定)。各地の復興事業も今年度末の事業完了を目指して進められた。宅地造成や災害公営住宅建設など住まいの再建に関わる事業はすべて完了した。遅れが目立った防潮堤建設など海岸対策も、被災6県で計画された621事業すべてが着工され、1月時点で8割が完了している(原子力被災12市町村除く)。

 東日本大震災の支援活動に当たる団体の多くが財源として頼ってきた助成金は、規模が縮小されるものが多い。NPO等が活用可能な政府の財政支援である「被災者支援総合交付金」は20年度当初予算155億円に対し、21年度は125億円(概算決定額)と2割減になる。コミュニティー支援や産業再生などソフト面の充実を目指すとされた「復興・創生期間」が始まった16年度と比較すると、ほぼ半減する。

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