5月下旬までに3試合に登板し、4回5失点の5与四球と結果を出せず、2軍で出直しとなったが、期待の大きさから登板機会を多く与えられたことが、結果的に裏目に出る。

 8月に中3日で先発起用されるなど、酷使されるうち、肩を痛めてしまい、最速150キロを誇った速球も、130キロ台にダウン。翌94年は、2軍で防御率9点台と打ち込まれた。

 そして、97年オフに戦力外通告を受け、移籍先の西武、近鉄も1年限りで退団。02年まで米独立リーグでプレーを続けながら、日本球界復帰を目指したが、自慢の速球が甦ることはなかった。もし育成に実績のある球団に入っていれば、別の未来が開けていた可能性もあったはずだ。

 1年先輩の南も、日本ハム入団後は肘の故障で1勝もできず、天理のツインタワーは、いずれも悲運に泣いた。

 2000年代以降も、05年に大学ナンバーワン左腕として自由枠で横浜入りした192センチの那須野巧、センバツで早稲田実・斎藤佑樹(現日本ハム)と延長戦を投げ合った191センチ右腕のダース・ローマシュ匡(元日本ハム)らが、大きくはばたくことなく、ユニホームを脱いでいる。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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