宮澤喜一元首相を祖父に持つ俳優の宮澤エマさん。実は作家の林マリコさんは、エマさんが幼少期を過ごした宮澤元首相宅のご近所さんだったとか。対談で思わぬ思い出話や宮澤一族のことで花が咲きました。
【前編/宮澤エマ、三谷幸喜への“無礼メール”明かす「気持ち悪いオジサンが…」】より続く
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林:エマさんのおじいさまは宮澤喜一元首相でいらっしゃるんですよね。私、実は宮澤家と少しご縁があったんですよ。といっても、自分で勝手にそう言ってるだけなんですけど、原宿にお宅があったでしょう?
宮澤:はい、ありました。
林:宮澤喜一邸の裏口の前の小さなマンションが私の家だったんです。そのうちにネコが出入りしてたんですが、そのことをエッセーで書いたら、おじいさまからおはがきをいただいて、「うちのネコです。そちらでも禄をはんでいるようで」って。
宮澤:ハハハハ。その話、私、母から聞きました。
林:私、お返事を差し上げなきゃと思いながらも、どういうことを書けばいいんだろうと考えているうちに歳月がたってしまい……。あのころ、前のビルがジャニーズの合宿所だったんです。
宮澤:はい、はい。
林:いつも女の子がいっぱいたむろしてて、ある人が「宮澤喜一さんってすごいね。こんな若い人にも人気があって」って言ったんですよ。
宮澤:アハハハ。
林:原宿のあの界隈、宮澤一族がお住まいになっていて、ご親戚の岸田家(衆議院議員・岸田文雄氏など)のすごい洋館があったりしたんです。今はマンションになってしまいましたが、大きなお屋敷があって、とてもいい雰囲気だったんです。
宮澤:原宿が原宿になる前、あの一帯が何もないころに広島の福山からみんな出てきて、母もあそこで育って、「今のこんな状態になるとは誰も思ってなかった」と言ってますね。
林:エマさんもあのおじいさまのおうちにしばらく住んでらしたんですよね。
宮澤:はい。もうあのおうちはなくなってしまいましたけど、幼少期はそこで過ごしていたので、思い出深いところです。私にとって祖父と暮らした時間がいちばん濃かったので、その思い出深い家がなくなってしまうのはすごく悲しかったです。私は父(アメリカ首席駐日公使などを務めた外交官クリストファー・ラフルアー氏)の仕事の関係でいろいろなところに住んだので、実家と呼べるところがなかったんですけど、祖父の家はいつも変わらずあそこにあるという感じだったので。