東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 政府は東京五輪・パラリンピック選手団の入国について、空港検疫で新型コロナ陽性者が判明した場合、濃厚接触が疑われる同行者をその場で特定し、一部を首都圏のホテルに隔離する方針を発表した。6月20日、のち陽性が判明したウガンダの選手がそのまま遠距離のホストタウンまで移動し、感染が拡大したことを受けての措置である。

 当然の決定だが、問題はこれが事前に協議されていなかったことにある。大会関係者は5万人以上が来日する。いくらワクチン接種を義務付けても陽性の入国者が現れることは自明である。実際にその後も陽性者が相次いでいる。なぜマニュアルが用意されていなかったのか。理解に苦しむ。

 本来の計画や作戦が頓挫したときの次善策を「プランB」という。プランBの存在は計画実現への努力と矛盾しない。今回の東京五輪では、日本社会がプランBの策定を厭(いと)うことが様々な点で明らかになった。この事件も一例だ。しかしその態度は改める必要がある。

 ワクチンは効果的で、国内接種も予想以上の速度で進んでいる。それ自体は歓迎すべき事態である。五輪も有観客で問題なく開催できる「かもしれない」。とはいえ現実には都内の新規感染者数は増加しており、変異株も続々現れている。パラ終了までの2カ月でなにが起こるかは誰にもわからない。会場や選手村でクラスターが発生するかもしれない。招待客から重症者が相次ぐかもしれない。再び医療崩壊が叫ばれるかもしれない。

 ロシアのサンクトペテルブルクではサッカー欧州選手権が有観客で開催されている。同地の感染者数は上昇し、去る28日にはフィンランドから訪れたサポーター約300人の大規模感染が確認された。外国人の観戦を認めるなど違う点はあるが、日本でも似たことが起こりうると考えるのが自然だろう。

 東京五輪は世論や専門家の強い反対を抑え込んで強行されている。たしかに開催にも理があろう。しかしそれであればなおさら、政府と大会組織委員会には、できるだけ多くの「嫌な可能性」を想定し、それぞれのプランBを定め公表する責務があるはずである。

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

AERA 2021年7月12日号