ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「嫁姑モノ」ついて。
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最近は「嫁」という言葉すら使うのがはばかられる世の中だそうですが、男として嫁を貰うことはおろか、誰かに嫁ぐわけでもなく、トラディショナルな日本の家族システム的に「当事者」ではない私からすると、嫁だの姑だのと古臭い言葉が行き交う家族像には、ずっとある種の「憧れ」があります。世代を跨いだ家族には不文律の「役割」みたいなものがあって、各々がそのニュアンスを汲み取ったり自覚したりするからこそ家の結束や伝承が成り立つ。長男のくせにその「役割」をほとんど果たしていない私が、そんな価値観を口にしても説得力がないのは分かっています。単なるファンタジーだと言われても仕方ありません。子供の頃から皇室や王室やホームドラマが好きなのも、「家」という概念が私にとってファンタジーだからなのでしょう。
私はいわゆる「嫁姑モノ」と呼ばれるドラマに目がありません。とは言え、昔ならではの「鬼姑による嫁いびり」なんてシーンは近頃めっきり見かけなくなりました。ホームドラマの御大・橋田壽賀子さん亡き今、それは絶滅寸前の題材なのかもしれません。橋田壽賀子さんと言えば『渡る世間は鬼ばかり』を思い浮かべる人も多いでしょう。姑の赤木春恵さんと小姑の沢田雅美さんが、嫁である泉ピン子さんを毎週のように虐げ、いびり倒す様は実にストレスフルで秀逸でした。まさに平成の時代を駆け抜けた「超保守的嫁姑モノ」の頂点です。